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2015年04月11日07:06

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タイムトンネルで見えるもの

 子供時代に夢中になって見たテレビ番組のことを思い出しました。あれは過去の世界に紛れ込んでしまった人をなんとか救おうとする物語でしたが、あの技術を応用したら「過去の歴史」を“リアル”に見ることが可能になるわけです。さらに「過去」を「現在」にしたら、「現在世界で何が起きているのか」も“リアル”に見ることが可能になります。「見られたくない」と主張する人が多いかもしれませんが。

【ただいま読書中】『脳は空より広いか ──「私」という現象を考える』ジェラルド・M・エーデルマン 著、 冬樹純子 訳、 草思社、2006年、1800円(税別)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794215452/ref=as_li_qf_sp_asin_tl?ie=UTF8&camp=767&creative=3999&creativeASIN=4794215452&link_code=as3&tag=m0kada-22
 「意識」を科学的に取り扱ってみよう、それも一般人向けの書籍で、という試みの本です。
 これって、とっても難しい試みです。私自身、自分の専門を専門用語を一切使わずに一般人向けに書いて見ろ、と言われたら、まず頭を抱えますから。ましてや「意識」というなにやら難しそうなものが相手なのです。
 「意識」の座は「脳」である、が本書の出発点です。しかし、特定の細胞や特定の場所が意識を生み出しているとは著者は考えません。特定の細胞の活動が必要ではありますが、そういった細胞レベルの活動と脳全体のネットワークとの“関係”によって「意識」が生み出されている、と考えているのです。
 意識は「個人の内に生じる(主観的である)」「常に変化しながら、連続している」「志向性を持つ(「〜について」の意識である)」「対象のすべてに面に向けられるわけではない」という特徴を持ちます。
 意識を理論化するためには記憶を理解する必要があります。記憶は長期記憶と短期記憶に分類され、さらに手続き記憶やエピソード記憶があります。著者はそういった「分類」も重要だが、単純に「特定のシナプス変化と特定の記憶」を固定化して結合させて考えるのではなくて、「それぞれの記憶の関係」も重要だ、と述べます。
 進化の過程のどこかで「意識」が生まれたはずです。著者は、爬虫類から鳥類や哺乳類に移行するあたりで「視床と大脳皮質の間に新たな双方向の結合が生まれたこと」が「意識の発生」に決定的だったのではないか、と考えています。
 さて「意識とは」の本論が始まりますが、その前に「クオリア」について予習をしておくことをお勧めします。私が読んだ本では1年前にここに書いた『意識の哲学 ──クオリア序説』がお勧めかな。軟らかい本の方が良ければ、同じく1年前にここに書いた『紫色のクオリア』もあります。
 さて「クオリア空間」に「意識プロセス」と「神経プロセス」が伴立している、と著者は話を始めます。どちらも「プロセス」であるところがキモです。つまり「実体」ではない。そして、「現実」を動かすのは「神経プロセス」の方です。このとき重要なのは「意識を有する人間」は「自分が意識を有していること」も「意識している」ことです。人は「外界」と「意識」と「記憶」を「意識し」、神経プロセスを動かすことでそれらすべてを動かしていきます。意識が意識を変えるのではありません。
 「原意識」を持つ動物は、自己の意識(自己感)や記憶を持ち、行動プランを実行することはできます。しかし、過去や未来という概念を欠き、意識している自分を意識することもありません。対して人間は「高次の意識」を持っています(持っている人間もいます)。この高次の意識は、言語とエピソード記憶に支えられています。原意識は「現在の現実」に縛られていますが、高次の意識は「与えられた情報の総和」を越えることが可能になるのです。そして「意識の多様性」は「その人のそれまでの経験」に依存しますし、そのベースとなっている「原意識」は発生と進化の観点からの説明が必要です。
 私は朱子の「理気二元論」をここで思っています。「物質的なもの(あるいは現象)としての『気』」だけでこの世が構成されているのではなくて、それを司る「(物理法則としての)理」が「気」とセットで存在することでこの世のすべてが構成されている、という考え方ですが、本書で著者が展開する「意識の(局在論でも全体論でもない)大局論」もまた、二元論あるいは多元論で処理することが可能なように思えます。さらに「意識」に入力されるとても重要な情報である「身体からの感覚信号」に着目したら「唯識」もここに重ね合わせたくなります。
 白状しますが、ちょっと読んだだけで簡単に理解できるような本ではありません。私は全然理解できていないことにだけは自信があります。ただ、考えることはできます。人が意識を持っていることについて、そして自分自身が意識をもっていることについて。
 ところでタイトルの「空」は「そら」と読むべきなのでしょうが日本語だと「くう」とも読めます。(般若心経の)色即是空の「空」よりも広い脳……このイメージも私は気に入っています。


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