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2015年02月26日06:37

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2011年の春

 日本では「東日本大震災」でしょう。もう忘れた人も多いかもしれませんが。
 もう一つ私が思い出すのは、アラブの春です。こちらの方は忘れた人がもっと多いかもしれませんが。

【ただいま読書中】『ジャスミンの残り香 ──「アラブの春」が変えたもの』田原牧 著、 集英社、2014年、1500円(税別)
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 2014年、著者は「革命は徒労だったのか?」という問いを胸に、カイロを訪問します。
 2010年チュニジア、警察官に暴行された貧しい青年が抗議の焼身自殺をはかり、それがきっかけで「ジャスミン革命」が起きてベン・アリー独裁政権が倒されました。チュニジアと同じく警察国家だったエジプトでも青年が影響を受け2011年1月にデモを呼びかけそれが拡大、結局ムバラク政権は倒されます。しかしそこから混沌が。イスラム同胞団のムハンマド・ムルスィー(ムルシ)が大統領に選ばれるとリベラルな公約は次々破棄してイスラム化政策を推進、左派やリベラル勢力は反発し、軍の介入を望みます。そこで軍が事実上のクーデター、イスラム同胞団を非合法化しますが、旧独裁政権の人間も次々復帰してしまいました。同胞団は、穏健派は反軍政デモ、過激派はテロに走ります。それは軍政からのさらなる弾圧を引き出すだけでしたが、その弾圧の矛先は同胞団にだけ限定されるものではありませんでした。
 学生時代に“時代遅れ”の新左翼運動にかかわり、アラブ世界を定期的に訪問して“定点観測”を続けていた著者にとって「アラブの春」は衝撃的な出来事でした。そして、アラブ世界で旧知を訪ね歩く著者の足取りを追っていて私が感じるのは「ややこしさ」です。小さな所では部族や世代間の対立もあります。大きな所では、イスラムという宗教と国家の政権の関係は複雑ですし、国内情勢と国際政治(イスラエル、他のイスラム国家、欧米国家との複雑な関係)とがリンクしてお互いに影響を与え合っています。たとえば同胞団は、親ソだったナセル政権にたてついていたため、アメリカとの結び付きは強くなっています。アメリカは「敵の敵は味方」として反射的に援助するくせが伝統的にあるらしく(たとえばサダム・フセインは反イランで盛大に援助されています)、それで世界がややこしくなっている面が相当あるのではないか、と私には思えます。
 2014年1月のカイロは重苦しい雰囲気に包まれていました。イスラム同胞団の排除は評価するが、それに代わった軍も結局は抑圧者です。ではそれ以外の「第三の道」は、といえば、その政治的な受け皿がエジプトにはありません。さらに「中間層の分解と格差拡大」という、世界のあちこちで(日本でも)見られる現象がエジプトにもあることが紹介されます。エジプトではインフレのため貧困化がさらに深刻になっているのです。
 著者は2011年のカイロ、タハリール広場にいました。実際に何が起きているのか目撃しておこうと駆けつけたのです。さらにその年の末、内戦初期のシリアにも入っています。しかし、10年前のイラク、そしてこの時のシリアで、「難民」として“優遇”されているのが気にくわない、と「パレスチナ人排斥運動」が起きているのを知ると、私は言葉を失います。「難民」という立場がそんなにうらやましいのか、と。そういったところに鬱憤を晴らしたいほど鬱屈が貯まっているのか、と。
 反アサド政権の戦いは、やがてイスラーム国家建設運動に変質していきます。ダーイシュという組織が外国人義勇兵も加えながらイラクからシリアを荒らし回ります(これがのちの「イスラーム国」です)。しかし著者は驚きません。イスラーム武闘派がぶいぶい言わせるのは、いくらでも前例があるのです(もっともそれはイスラームに限りませんが)。これまでも、そしておそらく、これからも。


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