やっと、少し頭がはっきりした時――俺は、船を下りるところだった…。島にいたんだ! いや、それこそ幻覚だろう…とびっくりして我に返ったのだ。小さな港だった。夜で、波は暗かった。一緒に降りた人たちはさっさと迎えと落ち合って、三々五々と消えていっ
まだ何かわめいてなじっているな。連れがもう止せと諫めている、破るな破るな、パスポートじゃないか…。ヘッ、大きなお世話だ帰れ帰れ、おめえも保護者面すんな、俺なんぞ殴ってる場合かよ、自分の身を処すこと考えろ。俺はゆっくり上がっていって、俺のだ、
太ってる。あの白い肌、大きな顔に小さな眼鏡、折れた鷲鼻、灰色の瞳、全体に鵞鳥みたいな歩きっぷりは、ロシアあたりの出にみえる。日傘の影が小さすぎらあ。は、拍子抜けだな、幻視も一度じゃ証明にもならない。ロシア女は暑そうに大判のハンケチ取り出して
俺が空の底に巣くっていた馬場のあばら屋はどんなだったか、このことはいつか来る駄目な野郎にも伝わらないのでつらつらひとり、述べておこう。鯉の背骨をぎゅうっと噛んで、汁を啜ったほろ苦い記憶。役者になれとは政兄(に)ぃのとんだ法螺だとすぐに分かった
第二場 悪霊第二の本の話をしよう。上野ォ上野ォー、上野に到着いたしまァーす…。アナウンスをば後目にかけていったん上野を通り越し、下総の国の故郷に帰った。が、故郷は俺をはじいていた。はじかれていることに帰るまで気づかぬ俺は何というのんびりこい
風のからだ 時 一九九〇年 場 那覇・上野・対馬 人 男第一場 帰還一冊の本の話をしよう。ボォーッ、ボォーッ、チャグ、チャグ、チャグ、チャグ、ボォォーッ、ボォォォーッ…。着到の汽笛が鳴る。俺はやってきた。船はマカオの港を離れ、高雄、台北と黒砂の
出島 おお。じゃこの味はよ、こっつの方が断然ええんだど? イビはでかくてむっちむちしてっし、ゴロは反対に粒がちっちゃくて。あよ、ゴロはおめえ身が締まってて小粒のに限んだ。それってのもこっつの方が、湖(ウミ)が狭え代わりに水深があって、藻がよお
山田 どうか…皆様…、那智 ――ドウシタノ。山田 …ほおり。那智 兄サン。山田 本当におまえ、ほおりか…?那智 ソウサ。山田 ――そりゃあ、ないだろう…今になって、そんな、現れるなんて…。那智 オヒサシブリデス、兄サン。山田 やめてくれ。那智 アノト
第二場 ヘルメスの国道 眷属どもによる、烈しい歌、「香取海」。 ♪二月の ひざしに 河原は けばだち 香取の 浦には 恨みの あしかび すじ雲 みやれば 麦畠 揺れるよ 土砂降り 五月は 田のくろ 崩れて 印旛の おちこち お化けの 棲家
劈子 この時間、何やんのー、委員長。藍子 よしてよ委員長は、二年でやめたよーあんなん。劈子 又、やればいいのに。藍子 だって仕事なんて禄にないんだもん。こっ恥ずかしいだけでさっ。劈子 ふーん、ンなもんかあ。掌子 今日も自習っしょ。藍子 そーだねー
那智 本当に分からないの。お日さん見て、たぶん、ある時ふっと感じるんだわ。いつもそうだった。あるとき急に、地面にこの素足が着いてないようなふらふらした感じになるの。夕方が多いね。そうすると駄目、翌くる日にはどうしても次の土地へ行っちゃうのね
科白の間に鈍天たち消え、替わりに水掻きのあるあやしの眷属ども、地の底よりおおぜい現れる。歌、「ヒキガエル」。 ♪時雨よぎる宵の 落葉松を踏んで 琥珀の悲しさよ 醒めぬ夢よ (市電すぎた夜道)昔の足どり 冷たい耳底の 水銀の苦みよ
めだかクラブ 時 二〇一〇年、初秋 場 鹿取ヶ浦、湖畔 人 根来(ネゴロ)掌子(ショウコ) 風猛(カザラギ)藍子(アイコ) 粉川(コカハ)劈子(ヒロコ) 山田佑介 那智(ナチ)ほおり 冷泉(レイゼイ)三四郎 鈍天入道 カムチン将軍 出
常木 ハイ。ラストシーン!(ト気を入れて)――狐のレインコートの「かくしの中には茶いろなかもがやの穂が二本はひって居ました。土神はさっきからあいてゐた口をそのまゝまるで途方もない声で泣き出しました。その泪は雨のやうに狐に降り狐はいよいよ首を
もとの景色。常木 ああ…。効いたよビンタ。吹田 (けげんに)ビンタ? 失礼ね、いくら短気でもいきなり引っぱたきぁしないよ。遠野 大丈夫かね。急に黙りこくって、心配するじゃないか。常木 はあ…。何の話でしたっけ。遠野 三人が共通に見たそらのことを
長い間。遠野、ひとり拍手。遠野 ねえ。その身で感じたことだけが、信じうる思想の種だ。桜井君せい子君、今の感じを覚えておれるといいね。――さてところで諸君、われらのこの身は滅ぶ。だが滅んだあとまでいくばくかの雰囲気を、この野原に残してゆきたい
常木 でも気持はネ、獲得形質ネ。DNAに書いてないから転生しない。桜井 でもこれ文学だし。常木 そう。だけどかなり科学的ネ。吹田 (助け船で)うーんそれって水掛け論じゃないの、アジアの循環史観とヨーロッパの線型史観とのさ。とにかく、土神がキリス
〈土神と狐〉考 時 ある年の五月と九月 場 岩手山東麓、一本木野 人 遠野(老大学教授) 吹田(女子学生・十九歳) 桜井(男子学生・二〇歳) 常木(留学生・二十一歳)第一場 五月常木 センセイ、このあたり違イマスカ。吹田 (若々しく)野
溶暗し、回想へ。それは土龍の回想である。けばけばしい服装(いでたち)の巫堂と、数年前の土龍、座敷にて対峙する。巫堂3 ――で、何をお聴かせしましょうな。土龍 何って、それぁもう、先生様の得意なところを適当に見つくろってもらやぁいいので。巫堂3
巫堂2 (微笑し)つまり、あの子を、好いたですな。土龍 へへへ、お恥ずかしい。巫堂2 これでも親です。頼りなくも、気持ちがの、通じなくとも思うてはいる。土龍 (やや醒めて)こりゃ、偉ぇことをいった。…済みません。巫堂2 いえ、兄さんのことではあ
土龍 唄?(ホッとして)なんだ、何かと思えば。お安い御用さ。無職(ぶしょく)に見えるかもしれねえが、恥ずかしながらおいら、こいつで日銭を稼いでんのさ。何がいいかね、とらじかね、鳳仙花(ぽんそんふぁ)かえ。そうだトレモロで、恨五百年(はんおべんにょ
永南 (やがて、低く…) 秋 風 蕭 瑟 天 気 涼(しゅうふう しょうしつとして てんき すずしく) 草 木 揺 落 露 為 霜(そうもく ようらくして つゆ しもとなる) 群 燕 辞 帰 雁 南 翔(ぐんえん じしかえり がん みなみへとび) 念 君 客 遊
とんくらみ 泉鏡花「歌行燈」「海神別荘」より 時 陰暦九月十七日の午後から夜 場 韓国全羅南道海南郡門内面 人 巫堂(むぅだん)1・2・3 朴(ぱく) 永南(よんなむ) (70) 姜(かん) 東柱(どんじゅ) (63) 白(ぺく) 順姫(すに) (21)
碍(がい)子(し)の兵法 ――月夜のでんしんばしら2119―― これは連作戯曲「風土と存在」第三十七番目の試みである 時 西暦2119年9月14日夜 所 ハナマキ、ヤポン 人 恭一
第二場 子コ子(ねここ)のいくさ(鳴り物あって)千年前か二千年前かもう忘れたが、私の住んでいた川で大きな喧嘩があった。私はほぼ一万年ほど生きているが、その喧嘩より前のことは、もうよく覚えていない。この体が初めどんな体だったのかも覚えていない。
川 各地の訛りによる仮面戯(たるろり) 時 現代 場 バングラデシュ 人 河童*本文はたんにストーリーを伝えるためのもので、上演の際、科白は「演者の得意とする/あるいは公演地で語られている」方言ないし言語で語られる。仮面戯(たるろり)とは朝鮮半島に
一輪の書 これは連作戯曲「風土と存在」第三十六番目の試みである 時 2016年8月 所 浦和、太田(ダイダ)窪 人 りん 木ノ かの
モンドリアンの生涯 第二幕 ――これは連作戯曲「風土と存在」第三十八番目の試みである 時 二〇一四年十二月三十一日 所 埼玉県南埼玉郡宮代町身代台 人 苧婆谷すヾね 声 1.起承転
フォーゲル (やがて)成熟せぬ故郷ゆえまだ訪れていなかった時代を…あなたひとりは、もう生きてしまったんですね。デクトラ 何のこと?フォーゲル 秘文字(ユクチャ)を背負った六人を村では誰も信じなかったわけでしょう。人魚の契約は、皆への忠告だったは
フォーゲル (いつかの過去に戻り)なんて明るいんだ! 町の上の方が、一面に火の海だ! 焔が空を駆けまわって、ラッパのような音が上から聞こえてくるぞ。盛りあがってくる! さ行こう。うしろを見るな――先生、つまり自然が二重になるってのを、ご存知