それでも、生まれようとして、産んで、生まれてきたら生きる。この命の業は凄まじい。ただ、命でないものの存在から命が誕生している事を思うと、存在させたものの業は計り知れない。恐らくこれこそが無限。姿を持ったり持たなかったりする時点で、無限であり
対策や方法はそれほど間違っていないのだろうけれど。それだけ重大な事柄に対する事が出来る人材が足りないのだろう。事実として。その辺の社会人にも出来ない事だろう。教師に拘わらず、思いの外、出来ないのにポジションに就いている人、就かされている人が
たとえば「これおいしい?」と訊く相手に疑問までいかない、奇妙にまでは思っていないと思われるニュアンスを感じると『普通においしい(けど?)』となり。「これおいしいでしょ!」と言われると『普通に』を付ける可能性は減るだろうな、おいしかろうと口に合
色々行きました、まだ京都に居て龍安寺を最後に京都駅へ向かっています。一泊させて頂いた全適堂さん、うしおにはずく、とっても楽しく過ごさせてもらいました、どうもありがとう。うしおとはずくは、かなり興奮させてしまった様で、ちょっと申し訳なかったで
この件がそうだとは限らないが。酷く追い込まれていると自分でも驚いてしまう物を持ち出している事に気がつき戻る事はある。物とも限らない、行動全般に現れる。そこまで追い込まれてみないと理解不能な事がある。間違いなく間違いない様に行動しているつもり
うちは娘が小学生の頃からiPadを渡していて、ネットに触れさせている。その際SNS等の危険性の説明をし、実際の事件を見せてネットの怖さ、実際の怖さを突き付けて学ばせている。事件も、実際の事件にとどまらず近所の事件を用い、更にはその場所にも行ってみ
この世界が、不幸のどん底に居た人や最悪な行いをした者が、今幸せになれない世界なら、この世界全ての人間は誰も幸せになんてなれない。どんな理由であれ、人を殺していない遺伝子など存在しないだろう。ぼくも殺しているだろうし、あなたも殺して来ただろう
ぼくが酷く幸運だったのは、上の子も下の子の時も、ぼくの毎日の帰宅時間が夕方6時過ぎだった事。風呂も飯も寝かしつけるのもオムツ交換も、帰宅してからはぼくがやれた。貴重な時間だったなあ。もともと会社勤め嫌いなぼくは家事育児をメインでやりたいと主
思春期と同様の事が起こっているね。思春期と違うのは、心的なトラブルではなく肉体や生命レベルでそれが起こっている事がわかる事。思春期の時は自分に何が起こっているのか全くわかっていなかった。だもので、なんでもした。わかるならななんでもやってやる
役に立つ間はいつまでも。■65歳以上雇用へ制度改正=「生涯現役社会」実現−政府会議(時事通信社 - 10月05日 21:05)http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5319609
この記事の言う『タトゥー』を『銃』や『軍隊』や『死刑』に置き換えて読んでみると、世界的にはおかしい事になってしまうし、なっている。ただ、此処は日本だ。アメリカやイランやイラクではない。なんでも国際化するのもみっともない。各々の国にいつまでも
これまでに起きたどの様な事件や事故にも、解決策はあっただろうか?そして、自分はそれを言ったり提示出来ただろうか?また、自分は解決の為に何かをしただろうか?そして、これからは言ったり提示出来るだろうか?また、自分は解決の為に何をしていくだろう
60年前の、曾祖父母が使っていた出刃と小出刃が約二年前に出て来て、自前で思いっ切り研ぎメンテナンスし使用している。めちゃくちゃ愛着湧くな!ぶりくらいまでは捌くけれど、ぶりおおきいなー。食べきれない。エレキギターを約25年程前に買い、今も自力でメ
おいしいけれど曲がったキュウリも価値の変わらない商品になり、グリスアップした車に油の跡が少しくらい残っていても、新品の服の縫ってきちんと止めたあとの糸が見えていても、電車が時間通りに来なかったとしても、お届けものがいちんちふつか来なくとも、
去年ゴッホ展2017に行った。見ているぼくが生気を吸い取られている気がし、だからこそ時を経た今も、あの力強さが失われないのではないかと思った。人体の解剖でも見ている様に生々しく感じ、とても疲れた。今年はムンク、去年から楽しみにしていた。ムンクに
満員電車で、疑わしきは罰する下手くそな『凝』の目でこちらを見る女性が近くにいると、全力で警戒し、こちらも下手くそな『絶』を用いて存在を薄くします。会社に着くまでに、かなりの念を消費してしまい、リーチが掛かり、業務に支障が出ます。『電』と言う
若い時分は生きにくかったなあ。はっきり言えば、周囲、世界の認識が不足がち、遅れていたのでズレが酷かった。では今、楽かと言うと、ぼくが鈍ったんだろうな。世界がぼくに追いついていて、もしくはぼくが世界に抜かされそうになっていて。生きる事はかなり
聞きたくない、見たくない。けれども、現実から眼を背けてばかりいると、眼を背けるのが自分になってしまい、手遅れになる事が多いから。見たくないし聞きたくないが、眼は背けない。■生後間もない娘虐待容疑=「泣きやまず」母親逮捕−愛知県警(時事通信社
更年期障害を、そう呼べる環境や情勢になったのだから、思春期障害と呼ぶ事に差し支えない。あれは、自分ではどうにも出来ない。自分でも何が何だかわけがわからないもの。しようと思ってしているのではない事が今ではよくわかる。更年期障害やその他の症状と
誰の、どんな職種の働き方を、どの様な形で改革しようとしているのか、誰も考えていないところが日本の腐った政府や企業らしい。ただ効率上げて休み取れと。だからどの職種をどうやって効率を上げるのか?人材や設備を投入すれば良いのか、ならば、その人材や
そろそろ、生まれてすぐGPS管理しても良いけれどね。事件時にそこから発信されていた信号を辿れば、あとは裏取りのみの捜査で済む。その事から個人が何処にいるかの情報が漏れて発生する事件よりも、凶悪事件の犯人があっさり捕まる方が効率的だし、数十年も
『思』いが強くなると角が生えて尻尾が生えて『鬼』になる。昔の人の表現力や観察力、その他諸々は本当に素晴らしい。それも人間には『男男』と『女女』と『男女』『女男』が居て、見た目にはふたつに分かれてしまって居る事で『男』と『女』だけしか居ない様
唐揚げ(揚げ物)、カレー、なべもの、チャーハン、刺身(腕の長さ程度の魚まで)、煮付け(圧力鍋使用)、レバニラ(鉄鍋炒め物)、炊き込み御飯(キノコ我が家で干して)、ハンバーグ、パスタ(簡単なニンニク系、トマト系、クリーム系)。その辺までは、ちょっとしたフ
さっき、次女が中学校を卒業した。自宅から中学校まで車で15分掛かる。1年ちょっと前に引っ越しをして、次女は転校せず学区的には異なる学校に通い続けていた。ぼくと嫁さんは卒業式に出るために車で向かった。途中、向かうまでの道が何かの事故で冠水し、通
これでもまだ、保育関連の社会的評価の低い所が、日本のある大きな一面の程度の低さになっている。『一年後を楽しみたければ花を、十年後を楽しみたければ木を、百年後を憂うなら人を育てよ』そんな言葉があった。ぼくは今年で四十四歳、十七年前、親になった
勤め先の隣のデスクの人が、デスクに就いている間全く水を飲まない。良く咳をするので、水を飲んだ方がいいと助言してもまあ飲まない。しょっちゅう咳をするので、やはり水を飲んだ方がいいと言うのだけれど、まあ飲まない。だもので二人でずっとマスクをして
これは、人の心の深淵に触れる話題だ。そのため日常的に触れる話題にはならないし、触れれば記事中にもある様にその関係性はそれまでにあったものではなくなるだろう。この記事は2017,8,10のもので、現時点でつぶやきが1件のみある。ぼくは、子を持てなかった
あの、見ている景色が違って見える感覚。聴こえている音が身体の隅々に響く感覚。触れ合えば生まれて来た理由さえわかってしまったかの様な絶頂感。そんな恋心を、自ら放棄する気は40を過ぎた今も全く無い。全く成就しなくて良いので、今後もずっと、そう言う
あの時の一年間の引き籠もりは今を生きさせてくれたなあ。あの引き籠もりは最高のタイミングと最高の決断だったよ。あの葛藤とそれを可能な限り自分だけで言語化(思考)し続けた一年間は、それは充電や覚醒、再生、転生とも異なる、何故だかわからないけれども
この手の話を見聞きして、褒められたり叱られたり、そのままでは自力では伸びない、伸びる事が出来ない事はどう言う事かと自覚して、褒められもせず、苦にもされず、自分の事は自分で出来る、そう言う人にぼくはなりたくて、今のぼくになりました。「ほめちぎ