対策や方法はそれほど間違っていないのだろうけれど。
それだけ重大な事柄に対する事が出来る人材が足りないのだろう。
事実として。
その辺の社会人にも出来ない事だろう。
教師に拘わらず、思いの外、出来ないのにポジションに就いている人、就かされている人が非常に多い。
繰り返すけれども、対策や方法ではないだろう。
それに当たる人材だろう。
出来ないのに就いているので、結果出来ずに終わる。
また、その見極めが非常に甘い事から何度も繰り返す。
思っている程簡単な事ではないにも拘わらず、事態をかなり過小評価されて、対策さえ与えていれば解決するだろうとされている。
そして結果が出ないと対策や方法が間違っていた、と。
これが過ちの根源だろうな。
もしくは故意にその所為にしているか。
いじめがなくせないのも、自殺を止められないのも、パワハラ、モラハラ、セクハラ、その他諸々の、先進国にも拘わらずちっとも進歩しない意識や精神性も、対策や方法ではない。
足りないのは人、つまり我々すべて。
およそ、人が認めたくない事実。
自分が足りないなんて思えるだけで相当な位置に居る。
けれども普通は思いたくない、見たくない事実。
そんな事を思ったり見たりするくらいなら、それを思わせる見させる者など居なくなれば良い、とも思うくらいの者が殆どなのではないだろうか。
此処からやり直さないと、幾ら他の事を考えても無駄だ。
■「善意」で誤った指導、子どもの自殺招く 懸念が現実に
(朝日新聞デジタル - 12月09日 20:16)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5411593
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