うちは、と言うか、ぼくは、家族に良い事があると「お祝いだお祝い」と言って、娘が水泳で進級したりテストの結果が良かったり誕生日でも、その他色々めでたい事があると、すぐにお祝いをする。外食したり、ちょっと豪華な夕食を家で取ったり色々。「お祝いだ
間違っているのは、ただ必死で働いていれば身になる、と言う事。そうではなく、身になるように必死に働き、その結果、身にならないと、その必死の働きは意味がないからね? 自分がそう身になるようにしなければならない、たーだ働いていたってなるわけが無い。
先日4歳児を預かった。親子共に非常に辛そうだ。辛い辛い言っているわけではないから余計に。自分とも重ねて見てしまい、ぼくがどうにも辛い。嫁さんとも話し、預かれる時は預かる事にした。そうする事で、まず、ぼくが楽になる。ちなみに、うちの娘たちとは
この事に限らず。また、この者が精神疾患者と言う前提も否定した上で。精神に疾患があっても、死刑で。犯罪者を罰する事や、殺人犯を死刑にする事は、精神に疾患がある者を死刑にしない事が目的ではない。この時代、この数年、弱者保護の観点が歪んで仕方がな
全員独身で、しかも子供を持てないようだったら、人類は滅びるだろ。「人類も滅びてもどうでも良い」と言う者も居る。けれどもぼくは人を好きだし、ある種の人を愛しているし、愛してくれている。どうでも良くは無い。人として生まれ、人ではなくとも生まれた
普段、特にAKBの音楽を聴いたり、見たりはしていないのだけれど、この総選挙は一昨年から見ている。順位が発表されてからの、殆どパニック状態の中でのスピーチをこなす姿は、40歳を越えたぼくも正直脱帽させられる。一昨年、去年と、ぼくはある経験から全国
こいつが本当に社会に復讐したかったのかどうかはわからないが。本当に社会に復讐したい人間で、これから復讐しようとしている人間は、どれだけ理不尽で苦しくとも辛くとも嫌であろうとも、なんでも良いから、誰でも良いから、一遍、とことん役に立ってみてか
目に見えない事を、耳に聴こえない事なんかもだけれど、ある時代時代で、人は特別視しすぎるんだな。気にしすぎる。肌で感じれない事を目で見て、耳で聴いて、舌で味わい、鼻で嗅いでいるだけの事なんだが。それらを心で感じる事がある。心が感じなくても、見
まあ、この社会で多くの人が言わない本当の事の大きなひとつとして。親になっていない社会人は、半人前であり、わかっていない事がやはり多い。言い方を変えれば、見えていないものがある。見えていないから言ってしまう事がある。その殆どは、ひとの気持ち。
現状を理解してもらうために、殆ど理解が困難なひとたちにも、きちんと数字の説明をするに至って。ただ、働いていれば良い社会は既に存在しない。コンビニのアルバイトや工場派遣社員のベルトコンベア等、そう言った職種でも人格や職歴が問われる社会に至りつ