小学校の頃から、学校を買い取り、そこで好きな者同士や親の居ない子を引き取り、好きに暮らしたいと言う夢を持っていた。今、親になって、たったふたりの娘に必死になっていた親では、そんな大層な事はとても出来ないが、たったふたりの娘はなんとかかんとか
情報を集めたわけではなく、つぶやきや日記から読み取ったものについて。また、今に始まったわけではないが。容疑者は、被害者が死んだ事を知らされて、死んだと理解し「殺すつもりはなかった」と言えるのであるから、警察や他人が発する言葉を理解出来ている
「夢がある」と言う事と「夢は要らない」と言う事は同じ事だ。何故なら、同じものを反対から見て、もしくは、別の言葉で主張しているだけの事。両者が反論し合えるのは、反論し合える程に理解している事に他ならない。何を言っているのかわからない事程、人は
こう言った環境に生まれ育ってしまった場合、もしくは、陥りそうな場合、もちろん、簡単に出来る事ではないし、自分が行ってやってみろと言われれば、わざわざ行きはしないが、今後日本でもこのような事が起こる時は、こうされる前に自決出来る手段を身につけ
ぼく「すみません(新製品を指し)これはこう言う使い方は出来るんですか?」店員「そんな事も知らないんですか? 出来るわけないですよね」ぼく「は? あ、いいです」店員「苦笑」たったひとりの店員と接しただけだが、雇用している企業が透けて見える。これ
これらを基にすると、ぼくはいけない親だ、様々な面で能力が欠けている。自分の所為なのに子供の所為や他人の所為にはしない事に心掛けているので決してしないし、それは能力が欠けていないので行えているが。折角の記事、残念ながら、それを改善する気も反省
「100年先を見据え、新しい大阪政府を作り上げるのは皆さんです。一歩踏み出してほしい」「府知事と市長をやったのは大阪の歴史で僕だけ。双方の問題点を把握しているのも僕だけだ。大阪が変わるラストチャンス」上記は、誰にでもわかりやすいように橋下さ
最近、片道1時間通勤のところ、帰りの内40分は歩いている。バスが1時間の内2本、20分掛かって最寄り最寄り駅に行ける。それなら、30分歩いて、最寄り駅に行こう、と。行きはバスに乗っている。それから電車に乗って20分。最後に家まで10分歩く。バスで帰って
この百年くらいで日本人は随分不安に陥りやすく、また、か細い神経になったのだろうと思う。もともとは、貯金どころか、今日の飯が食えるかどうかもわからない、病気になればばたばたと死んで、そこら中でしょっちゅう起きる戦や一揆ではやはり皆が殺し合いで
日本国内、同人種に於いても、文化圏、宗教、教育、価値観の違いがこれだけあるのだから、世界に於いては言われている以上、想像以上に違い、異なるのだろう。けれども、最低限の文化、宗教、教育、価値観に関しては、そろそろ同等程度の水準を成せないものな
昨日から6日まで。昨日は実家の母を連れて晩飯、漁港そばの海鮮レストランで。此処はうまかった。娘たちは部活なので、昼はぼくもギターをずっと弾いていた。今日もやはり娘は部活。昼には帰ってくるので、それから友人家族とビリヤードやダーツやカラオケや