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2018年04月07日09:09

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■LGBTが気持ち悪い人に会ってみた 「僕の方が社会的に葬られる」ポリコレ棒を恐れる本音

『思』いが強くなると角が生えて尻尾が生えて『鬼』になる。
昔の人の表現力や観察力、その他諸々は本当に素晴らしい。
それも人間には『男男』と『女女』と『男女』『女男』が居て、見た目にはふたつに分かれてしまって居る事で『男』と『女』だけしか居ない様に見えているだけなのだと言う。
『人間』は人と人との狭間のみならず、男と女、人と獣、微昆動人生物思無の狭間を漂う泡沫なのかもしれない。

昔の人たちに、この様に人を捉えて観る力があった事を知った時、物凄い敗北感に襲われた。
やられた感で頭も心も射抜かれ今も暫く抜けない。

人の『思い』が怖いのは、誰もが自分も『思い』を持っていて、ある時どう変わるか良くわかっているからと言う事もあるだろう。
自分にも鬼が居て、人間を『異性』とわざわざ異なる性と分けた動機や根拠を本能的に知っている事もあるのだろう。

Bさんの気持ちがとても理解出来る。
もっと言えば、ストーカーをしてしまう程人を好きになる人の熱意も気持ち悪いし、怖い。
理解出来ないし、実際につき纏われた時、ただ怖かった。
それが、男だったら(ぼくも男だ)尚の事ぞっとするだろう。
ぼくはどれだけ人を好きになっても、つき纏ったり人の家の前には立たない。
もしそうだとすると、そんな自分が怖いし、怖がられる事も理解出来るからだ。
けれども、そんな自分を自分で怖がらない人や、人から怖がられている事を理解しない人はやはり怖い。
その人が鬼になっている事を理解出来るからだ。
思いの鬼は相手の思いを見ない。
自分の気持ちさえ良ければ相手の気持ちがどうなってもわからない。
構わないと思ってそうするのではなく、どうなるのかわかっておらずに事を起こす。
それが最も危ない、危険だ。

ぼくがどうして家の前に立たないかは言える。
その人をこんなに好きだと言う自分だけで、物凄く充実出来るからだ。
それを自分で理解しその中で生きる事が出来るからだ。
だからつき纏ったり家の前には立たない。

どんどん長くなって行くけれど。

性別上、女であるヴァイと少しの間友達だった事がある。
彼女は見かけを男にしていて、ベースを男と思ってもらいたい様だった。
GAOだっけか? とても似ていて、いわゆる美形だった。
男友達と思ってぼくは接していた。
彼女もそれを拒絶しなかったし、そう接していた。
ある日、別の男友達から、彼が女であると知らされ、女も男も性の対象だと知らされた。
もちろん衝撃的事実であり、ちょっと良くわからなかった。
それももちろんその少しあとで理解した。
忖度が働いているのだろう。

ただ、何かを察したのか、偶然か、そのすぐあとで彼彼女はぼくの前から消えた。
知らせてくれた男も消えた。
その時の空白感、虚無感は、今も残っている。

形の無いものは、ぼくが消えない限り消えないものだね。
この空白感はいずれ何かになるのかな。
ぼくが消えても、そう言うものは消えない気もしている。

■LGBTが気持ち悪い人に会ってみた 「僕の方が社会的に葬られる」ポリコレ棒を恐れる本音
(ウィズニュース - 04月06日 07:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=5059012
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