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2018年02月25日07:57

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心のざらつき

これは、人の心の深淵に触れる話題だ。
そのため日常的に触れる話題にはならないし、触れれば記事中にもある様にその関係性はそれまでにあったものではなくなるだろう。

この記事は2017,8,10のもので、現時点でつぶやきが1件のみある。

ぼくは、子を持てなかった祖母が養子を取り、ぼくがその子、祖母の孫になる。
勤め先にやはり子を持てない、年齢で言えばぼくの母親と相応の人が居て、その人自身から『私はあなたの母、あなたは私の息子』『(ぼくに)何かあれば私が守る』と公然と言ってくれる人が居る。

そう言った人が周囲に居る者の話が話される事も少なだろうと、その深淵に触れる。

ぼくは、そんな二人からも、とても愛されているし、愛されて来た。
何故だかはよくわからない。
ぼくも彼女たちを愛している。
それは何故だかわかる、彼女たちが愛してくれている事が良くわかるからだ。
もしかしたら、ぼくが彼女たちを愛してから、彼女たちもまた愛してくれているのかもしれない。

ぼくは二人の娘が居る。
やはり愛している。
けれども、娘がぼくを愛してくれなくともぼくは娘を愛しているだろう。
何故だかはわからない、そうだからそうなだけだ。
多分、祖母も勤め先の母もそんな気はする。
もちろん、実の母もそうだ。

ちなみに、実の父に取ってぼくらはどうでも良い存在だったろうと推察している。
むしろ面倒臭い存在。
これもまたぼくの心の深淵に触れる話題だが、父と母は当時愛人関係にあり、30数年以上前に別れ、今に至る。
これまでの間、父と子と言う事では何も無い。
だもので愛情も無ければ特に込み入った感情も無い、まさに居ないと言う感じ。

そんな事でやたらと生まれる事や生きる事、存在意義やら価値やら、そう言った事を考え続ける少年期、青年期だった。
ぼくはなんだ、人とは一体なんだ、世界とは一体なんだ、と。
まあ、生まれたから出来る事ではあったな、日々苦しみもがいていたけれど。
ぼくとしては生きていなければ味わえない事ではあったので、生きて味わえて良かったとは思う。
生まれていなければ生まれていないので何も困る事も感じる事も無いわけだけれど。
産まない事産めない事とはまた全く異なるし、こうだからと言ってわかりあえるとも思っていないけれど。

祖母は、ぼくがこうして話が出来る程に成長する前に亡くなったけれど、勤め先の母とは二人で食事に行ったり、日頃職場で接する事で色々感じあっている。
今はぼくが異動したので、毎日一緒に居る事はなくなったけれど。
実の母とも事ある毎に食事に行ったり、それこそ平気で深淵に触れるどころか、その淵に立って話をしている。

立ち位置の異なる深淵に触れてみるのも良いかと思って。
最初から触れてしまえば、途中から関係性が変わる事も無い。
それに、そうで無い人に気を遣ってもらおうとか理解を得ようとかやめた方が良い。
そうで無いのだから無理だね。
ぼくが当初より、ちゃんとした家庭で生活したいとこれっぽっちも思わず求めなかったのはそこを受け入れる事が出来ていたからだ。
無理なものは無理なんだ。

もう、それほど心はざらついていないよ。


■産まないことから生じる「心のざらつき」 気持ちを和らげる4つの発想法
(ウートピ - 08月10日 22:52)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=184&from=diary&id=4712454
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