わたしは四十になる。雑で個人的な括りではあるが、青年期のイザコザとインターネッツの発達我が世代が最も、それらの生々しい絡み合いと共に来た、のではないかと思う。デバイスが、巨大で深遠な電脳に易々と繋がる今知識の価値は暴落した。だから、今は「グ
カルビミノセンマイカイノミもうチュウゴクジンになっちゃう!健康だもの、としがいタンをざっくり斬る我が前歯のパフォーマンスをスパイスの脇を持つアフターの嬢は見てない「君、君。網を取り換えたまえ」ピンパブの愁いその頬の翳りまでも牛脂はあからさま
無尽のともしびをわたしが無限にわたるわたしという人称が種子の滑らかなかたちを滑りおりては背くような人工の星の撹乱の中で眠れやしない食卓の自由と褌(ふんどし)のコンパニオン奏するかな無幻の蝶を轢断されたひとさし指に灯す皮革めかした皺で懐こい笑顔