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2015年12月14日09:30

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小池光歌集『思川の岸辺』

先日ある歌会で小池光歌集『思川の岸辺』(2015年9月、角川書店刊)の合評会を行ないました。

最初に、お手許にこの歌集をお持ちの方へ、誤植のお知らせ。

68頁の2首目《父の死といふ出来事のなつかしさ弔問に学生のきみ来てくれたし》の結句末尾「くれたし」は、正しくは「くれたりし」だそうです。小池さんと親しい方が直接小池さんからメールで伝えてもらったとのことなので、確かな情報です。

で、合評会は参加者15名。事前に各自の10首選を提出。一人5分でコメントを述べるというやり方で行ないました。事前に10首選を出して当日は欠席された方が一人いましたので、10首選一覧は16名分となりました。わたくしの出した10首選は…

山水画のなかに道ありいつの日のわれか歩まむ松影踏みて

「ボナパる」といふ動詞ありき「日和(ひよ)る」よりややに左にみぞれは傘に

四十九個の疣(いぼ)の一つをわれ押してはなれたところのテレビを消しつ

かなしみの原型としてゆたんぽはゆたんぽ自身を暖めてをり

わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ

ストーヴにおしりを向けて猫はをりさいはひはつね背後より来る

金次郎(きんじろ)が読んでゐる本なんの本あるいは『好色一代女』

左右から来るくるま見えぬ赤信号われ渡らむかわれは渡りぬ

中吊りの広告にみてあはれあはれ「2部位脱毛し放題」とや

グリーン車アテンダントは草花のほほゑみうかべわれに近づく

上記10首のうち、他の方の10首選と重なったのは、1首目(山水画の…)、4首目(かなしみの…)、5首目(わが妻の…)、6首目(ストーヴに…)の4首でした。16名の10首選の中で一番多く採られていた歌は、《ああ和子悪かつたなあとこゑに出て部屋の真ん中にわが立ち尽くす》で、6人の方が採っておられました。その次に多く重なったのが《わが妻のどこにもあらぬ…》で、僕を含めて4人が採りました。

この歌集は帯からして「長年連れ添った妻を亡くし…」という書き出しで、そのような物語がここには籠められています、というふうにおのずと読者は誘導されるのですが、松村正直さんのブログでもふれられていたように(*)、角川「短歌年鑑」でくだんの服部真里子さんがこの歌集の評を書かれていて、そこでは作者がおつれあいをなくしたなどということには一切言及されていません。歌のレトリックの背後に時空の中での偶然と必然や、「われ」を成り立たせるものとしての「死」を探る…というような思索がめぐらされていて、“何を詠むか”ではなく“いかに詠むか”こそが大事なのだと言い続けている服部さんらしい書きぶりです。これはこれでひとつの見識を示すものであろうと思いました。
(*)http://matsutanka.seesaa.net/article/431057387.html

僕も悲しみの歌は10首選から外そうかとも思ったのですが、1首ぐらいは拾っておこうと思って、《わが妻の…》を入れました。上記2首目の《…「日和る」よりややに左にみぞれは傘に》という粋な捌き方や、3首目のテレビのリモコンを「四十九個の疣」と見立てたおかしみ、6首目の《…さいはひはつね背後より来る》という箴言風のテーゼ、7首目の金次郎に『好色…』を読ませる悪戯心、8首目の赤信号でも渡ってしまえという経過の実況中継風の詠みぶりなどが、小池さんの歌のユニークな所だろうと思い、そうした歌を10首に入れました。ただ、今回の歌集はそうした歌が相対的に少なく、悲しみの歌が多くを占めていることは事実です。

ただ、凡百の詠み手なら、妻が息を引き取るような決定的な瞬間を歌にするものだろうと思いますが、小池さんはそうした歌は避けています。悲しみを詠んだ歌はもっと多くあったのだろうと推察されますが、歌集を編むに当ってかなり自選されたようで、悲しみ一色の歌集という印象にはならぬよう、うまく構成されていると思いました。

つれあいをなくすというようなとても悲しい出来事があった時、普通はそれを歌に詠むことによって何がしかの慰めを得るということが多いだろうと思いますが、小池さんぐらいの詠み手になるとどうなのだろうか、詠むことによる慰めなどということより、何処へ出しても恥ずかしくないような歌を作らねば、という作歌意識に駆られて詠まれることが多いのだろうか…? とかちょっとむにゃむにゃと僕が言いましたら、その後である大先達の方が、小池さんはおつれあいをなくされて以降、こんなふうに歌を詠むことによってかろうじて生きながらえてきたんだと思いますよ、と言われました。そうか、そうしたことについては、短歌の持つ普遍的な働きがやはりあるのかも知れない、と得心しました。俳句ではこうはゆかないでしょう。やはり“七七という尻尾”は「情」の方位へひとをうながすものなのだろうと思います。

小池さん自身にとっては、この歌集は人生上のメモリアルとして、とても大事な作品ということになるのでしょう。が、歌人・小池光の歩みを後日通観したとしたら、さらに次の境地へと向かう一里塚ないしは間奏曲として、この『思川の岸辺』は位置づけられることになるのではないか、という気もします。つまりは、そのようにして次の境地へ小池さんが進んで行かれることを、読者としては期待し続けたいと思うのです。


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