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2026年05月27日22:35

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5/24 スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー 世紀末の昏き残照@東京ステーションギャラリー

体調が悪くて、遠出ができない。千葉市美術館の小村雪岱、横浜美術館の今村紫紅、茅ヶ崎美術館の牧野邦夫。とくに牧野邦夫は練馬で見逃して以来で縁がない。見たかったなぁ。

こういう時は、全く知らない画家の作品を見にいこう。新しく知ると言うことはそれだけで満足度が高い。



歴史に埋もれたり忘れ去られたりした「知られざる画家」に光を当てる回顧展を定期的に開催している東京ステーションギャラリー。宮脇綾子、アンドレ・ボーシャンと藤田龍児、藤戸竹喜、神田日勝、メスキータ、吉村芳生、横山華山、不染鉄などはここで初めて名前をしった。



さて、今回は「カール・ヴァルザー」
チラシをぱっと見た時はわからなかったが、よく見ると実に変な絵である。椅子に腰掛けた婦人が本を読んでいるのだが、背景には森に囲まれた芝生に羊と寝ている男がみえる。ここはどこ?夫人の手足も突っ張って不自然だし、目は本に向いていない。なにやら…不穏。
《婦人の肖像》1902年
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19世紀ヨーロッパでは絵画において新しい動向があった。
フランスでは印象派の出現である。
ドイツ、オーストリアにおいては、保守的な絵画集団と分離すると言う意味で「分離派」と言われた。
1892年ミュンヘン分離派、1897年ウィーン分離派、1899年ベルリン分離派である。カール・ヴァルザーは1903年にベルリン分離派の会員となっている。

カール・ヴァルザーはスイスの画家である。スイスといえば、国民的画家フェルディナント・ホドラーがいる。カールより24歳年上。象徴主義的作風や壁画を多く手がけていることなど共通点もありそうだが、世代が違うのかな、交流の話はなかった。

弟はローベルト・ヴァルザー、文筆家である。才能認められるも本は売れず、不遇の生涯だったようで没後忘れ去られたが、1970年代再評価され、調べたら邦訳本まで出ている。
一方、カールは舞台美術や本の挿絵で活躍、弟の本の挿絵も描いたがそれが元で仲違いもあった模様、やはり没後急速に忘れ去られ、ローベルトの再評価が進むにつれ、挿絵を描いたカールの再評価が現在進行中であるとのこと。

写真撮影は不可。混んではいない。
構成は、年代順でなく、「絵画と素描」「挿絵と装幀」「舞台美術」のジャンル分けに「日本滞在」が挟まる。
なんと、カールは1908年にパトロンの支援を得て日本へきていたのだ。約四ヶ月の滞在で、特に気に入ったのが宮津だそうで、同行の作家ベルンハルト・ケラーマン著でヴァルザー挿絵の「さっさ よ やっさ、日本の踊り」を出版している。これらの原画は、1909年ベルリン、チューリヒで展示、2008年にビールで特別展で披露されたそうだが、日本にこんなにも縁があるのに、はじめて紹介されるなんて奇跡。ほとんど公開されなかったおかげで保存状態も良く、日本の明治時代が色鮮やかに甦り、このセクションだけでも見る価値あり。

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202604_karl.html 
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20世紀前半のスイスで活躍した異才カール・ヴァルザー(1877–1943)は、ベルン近郊のビールに生まれました。1歳下の弟ローベルトは作家になり、のちにその著作にカールが挿絵を描いています。20代でベルリンに出たヴァルザーは、革新的な表現を目指したベルリン分離派に加わり、象徴主義的な絵画作品をいくつも残しています。そこはかとない昏(くら)さと精妙な色彩をあわせもつその作品群は、謎めいた神秘性を湛え、見る者を惹きつけてやみません。
カール・ヴァルザーの生涯で特筆すべきことは、彼が日本を訪れて制作をしていたことでしょう。1908年にドイツの小説家ベルンハルト・ケラーマンとともに来日したヴァルザーは、東京や宮津(京都府)などに滞在して、熱心に日本の風景や風俗を描きました。これらの作品は当時の様子を伝える貴重な資料であると同時に、美術的にも非常に優れた見応えのあるものばかりです。その多くは水彩で描かれていますが、これまでほとんど公開されてこなかったために、驚くほど鮮やかで美しい色彩を残しています。本展は、これらの仕事に加えて、挿絵や舞台美術、壁画でも活躍したヴァルザーの全貌を伝える画期的な試みです。全作品約150点が日本初公開となります。


第1章 絵画と素描

以下2点、厚紙に油彩なのだが、なんともいえないテクスチャー。そして、どこがどうといえない不安定な構図。細い鉄柵があやうい結界のような…?
《テラスからの眺め》1900年頃
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《バルコニーに立つ女性》1902年
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《森》1902−03年
これも不思議な絵。葉が生い茂る木々、深い森。でも地面はなぜか明るい緑、点々は何?そして空は燃えるような夕日…と思ったら半月が。
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《人形の乳母車と少女》1905年以前
これも可愛いのか、不気味なのかわからない。少女が抱え持つ人形の白い足が目についてしまい。
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《隠者》1907年
ボロボロの服を着た隠者が芝生に寝そべり中世の写本(祈祷書?)を読む。いやにリラックスした格好だ。奥は隠者のすむ館か。左右には花壇?家庭菜園?果樹が広がり、空にもくもく雲。見れば見るほど不思議。隠者だもの。

「空の鎧戸の背後にある我が夢を描き出そう」とカール。弟のローベルトは、この絵に着想を得た散文を書いている。
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《デルフトの街角》1907年
デルフトといえばフェルメール。物語を感じさせる素敵な絵。なぜかオルゴールの音が聞こえてきた。
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《花畑の女性》1910年
光溢れる美しい作品。不穏な要素はない。
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《窓際の猫》1924年
リリカルな作品だ。爽やかな風が心地よい。猫の顔が判然とせず、こちらを向いているのか、それとも窓の外を見ているのか。なんとも不思議に心惹かれる。
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第2章 日本滞在

第2章では、カールが日本に半年ほど滞在して描いた日本の人や風景を紹介している。これが実に驚き。美しい色彩で的確に写しとっている。デフォルメがないのである。あの、ちょっと謎めいた感じが全くなく、西欧人が東洋的なものを描いた時の、ありがちな変な誇張がないのだ。
それは、カールにとって日本で見たものが、変に東洋的誇張をする必要がないくらい、そのままが幻想的で夢のような不思議な世界だったからなのではないだろうか。
宮津の旅館に招いた芸者・福子の顔や髪型、仕草までもが彼の驚きだったのかも。
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宮津では、歌舞伎「阿古屋琴責」をみた。当時舞台美術をも手掛けていたカールにとって歌舞伎の舞台はさぞ興味深いものだったと思う。
三味線、琴、胡弓を弾き終わり、みえを切って立ち去る場面。
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日本の夜の風景は、光と闇の画家カールにとってとても幻想的で魅了されたものだと思う。
《花火》1908年
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《祇園祭、京都・八坂神社》1908年
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《京都先斗町の鴨川納涼床》1908年
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ちなみにカールがなぜ日本に旅行したか。捨てた恋人が目の前で拳銃自殺したことにショックを受けたカールを励まそうと出版社が企画したものだったのだ。実際、カールは立ち直り、帰国後は新しい恋人と結婚している。うーん、なんだかなぁ。


第3章 挿絵と装飾


錚々たる大作家の書籍のデザインや挿絵を担当。
中には、晩年のビアズリーを彷彿とさせる精緻なものも。影響受けたのかな。
《ジャン=パティスト・ルーヴェ・ド・クーヴレ著「シュヴァリエ・フォーブラのアバンチュール」挿絵のための版画》1910年頃
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第4章 舞台美術

《ジャコモ・ブッチーニ作曲「ラ・ボエーム」衣装デザイン:学生と少女たち》
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《ウィリアム・シェークスピア作「ロミオとジュリエット」衣装デザイン:乳母》1907年
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正直なところ、挿絵や舞台美術にはあまり個性が感じられずピンとこなかったが、絵画は面白かった。

6月21日まで

タイラーメン(辛い!)のランチと恒例のソフトクリーム
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