3月16日月曜日。
日記を書くことで今日が何月何日かを正確に認識出来る。これは認知症の表れではなく、私は昔っから曜日感覚は確かなのに日付が1日前後曖昧という特徴がある。
一昨日の土曜、コーヒー片手に朝日の朝刊を読んでいたら、地方版に飛び飛び連載の「高校」ノンフィクション記事があって、鎌倉高校が取り上げられていた。たぶん今後3回か4回続く。
鎌倉高校は目の前が七里ヶ浜と江の島と駿河湾で、校舎から身を乗り出せば富士山の絶景が見える。で、偏差値はそこそこ高いらしいのだが、おっとりした教育方針も相まって3年間を過ごすうちにアホになる。それを地元のひとは「鎌高ボケ」と揶揄しているのだが、なんと記事に「鎌高ボケ」という言葉が紹介されているではないか。これ、口で言っていいけど、公に文字化するのはアカンのちゃうか。
うちから歩いて5分の親しい知人が鎌倉高校OBで、ご本人曰く「ぼくは鎌高ボケ」とかつて言ってた。なので、朝日の購読者でないことを確かめてから、新聞を切り抜いて持って行ってあげた。余計なお節介は自分の好むところ。
「鎌高ボケでアホ山(青山学院)卒というのがアイデンティティだから、この記事は嬉しい」と笑ってた。
で、京都出身の奥様から、伝説のロック喫茶「飢餓」のマスターが廃業記念に出された自費出版物を渡された。以前、京都の浪人時代、「飢餓」に通っていたことを話したので、気を利かせてくれたのだろう。これも余計なお節介、と言えよう。
うちに帰ってぱらぱらと読み始め、一気に読了。
単に貸してもらっただけゆえ、すぐに返そう。
長い手紙を書くことにした。
まずはぼくの記憶に基づく1974年の春から秋の「飢餓」を甦らすべく、生成AIで静止画をつくった。で、私が体験したことを細々と書いた。
隣からマリファナが回ってきたこと、学生運動家からしばしば声を掛けられたこと、田舎者の18歳には大人びて見えた女子高校生……。
内村鑑三の書名をもじれば『余は如何にしてうつけ者(讃岐弁)となりし乎』か。
これとは別に、近所の友人に長い手紙を書いて、プリントアウトした。
校正が遅々として進んでない昨今、こんなことをやっている場合じゃないのに。
で、2通の長文持参で知人宅と友人宅を訪ね、少しだけ立ち話をしてうちに戻った。
編集作業に本気出せよ、と自分の愚かしさをうらめしく思う。
現金3400万円を遺してボロアパートの一室でなくなった女性を描いた『行旅死亡人の物語』は前日に読了。記者の探究心と取材力が半端なくて、羨ましくなる。
今年売っ払われるであろう祖々父が遺した赤穂の一軒家を見に行って、どなたかぼくのご先祖さんを知っていませんか、と訪ね歩きたくなった。
「ああ、〇〇さんかあ。たしか、瀬戸内海を荒らし回った海賊だと聞いてるけど」と言われたい。こういう妄想をし始めると、小説のプロットみたいな筋書きが湧いて来る。
昨夜15日は特筆すべきこと、あったかな。
夜遅くYouTubeにアクセスすると、フランス系グループのライブに付けた自分のコメントにイイネ!が付いた、とあった。世界平和や人権尊重を暗喩している歌があると、Google翻訳を援用して英語で讃え、トランプやウヨクを罵るコメントを書いている。と、世界には私と近しい人がいるもんだ。英作文の勉強も兼ねて、これからもときどきコメント書きをやり続けたい。
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