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2026年02月27日19:40

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桂南光さんと東出昌大さんに学ぶ

 2月27日金曜日。
 土いじりが好きなワケではないが、ほぼ毎日、土に触れてはそのたび癒される。昨日は出窓に置いているオリヅルランの鉢の土を替えた。今日は庭を掃いた際に細かな砂粒のような土と落ち葉を手でつかみ、山へ捨てた。いずれも時間にすると5分程度なのだが、地球の肌の垢を手にする実感が湧く。
 昨日今日と2日続けて図書館に行くはめに。
 昨日は散歩がてら東峰夫の『貧の達人』を借りに行った。帰宅して1時間半後、読み終わった。版元はたま出版なのだが、その理由がわかった。現実と文学の境がわかっていないらしく、貶める言い方になってしまうが全編「オカルト」なのだ。自身に与えられた使命は世界平和の実現で、ずっと公安(警察)に見張られているという。被害妄想じゃないかな。暴力革命などの国家転覆につながる行動を継続してやらない限り、公安は張り付かない。たびたび聖書のマタイによる福音書を引いているのだが、そういう大袈裟な平和論より、誰かに知的な愉悦を与えたり、悩み深き人に「大丈夫、大丈夫」と語りかけるような小説でも書けばいいのに。純文学界の至宝・芥川賞作家なんだから。
 朝日朝刊で10回程度連載の「(人生を)語る」コラムは、3日前から桂南光(べかこ)さん。師匠は言わずと知れた枝雀(小米)で、毎朝、心が温かくなる。南光は番組収録中の枝雀師匠を訪ねて「弟子にしてください」と。
「私の落語の何を気に入って来たんですか}
「いや、小米さんの落語は聞いたことがなくて(中略)ラジオのディスクジョッキーを聞いて面白いなと思いました」
「君は落語も聞かんと私とこへ弟子入りに来たんですか」
 こういうやりとりが昨日の回。今日は今日で、南光が枝雀の下宿を訪ねると、向かい合わせに座って「浮世根問」というネタをやってくれたそう。初めて聞いたらめちゃ面白くて笑ろうたら、「私は君を笑わせるためにやってるんやないねん。(中略)君が覚えて、君がやんねん」
 そこで南光はつい言ってしまう。
「こんなアホなことよう言いませんわ」
 私は枝雀さんの落語を何度も聞いていて、南光さんにもお会いしたことがあるので、このようなやり取りが「作り」ではないことを知っている。
 かつての大阪は、許容範囲こそあるものの「ボケ」が尊重され、仕事上でも「ボケ」が許された。いまはどうなんだろうか? 大阪人気質は変わっただろうし、日本社会自体もおおらかさはなくなった。
 落語で思い出した。
 昨夜、ひょんなことから東出昌大のブログ(note)に行き着いた。東出はかつてNHKで落語番組のMCをしたくらいの落語通で、その番組のプロデューサーから直截「東出さんはたいへんな努力家で、自分でも落語の一席や二席出来る腕前をお持ちのひと」と聞いた。聡明なプロデューサーが高評価したので東出のファンになった。そののち不倫騒動が湧き起こったのだが、お相手の唐田えりかを見るとその美貌ぶりに「無理はないよな」と感じ入って、さらに東出に対して好感を抱いてしまったのだった。
 ともかく、あるTwitterで「東出昌大の文章はとてもいい」と評価されていたので、そのブログを読んだのだった。東出については、以前、YouTube動画で東出に「大型書店を歩き回って買いたい本を選んでもらう」という企画モノがあって、東出が気になった本を手に取りながら著者に対する蘊蓄を語ったりしていたのを見ていて、顏も声も頭もいいのかあ、と感心したのだった。私は面食いだ。
 彼が2026年にやりたいことを挙げただけのブログだったが、確かに文章が簡潔で上手い。それより何より、生活をとても丁寧に捉えて実践に移していらっしゃる姿に敬意を抱いた。人間は一度や二度は三度の過ちはあるものだ。過ちがあるからこそ人生は冒険であって修行であって、つらくもあり、楽しくもある。
 彼の目標ブログを読んでいる間、南光さんのヨタ話と同様、心がぽかぽかと温かくなった。ネクラで人間力の乏しい私は、真に優れた人たちから日々、学ぶことによって、なんとか生きている。
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