役人に商売は向かない
商売に向かな人達が役人になっている訳で、そもそも無理がある。役人的発想では、産業は、生まれ難いし、育ち難い、ということだろう。社会の役割分担だろうと思う。日本のアニメが世界的に人気だが、日本の全てのアニメが人気な訳でも、優れている訳でもない。やはり、大ヒットするようなアニメは、限られてしまう。これは、どんなジャンルでもそう。誰もが大ヒットを狙いながら、結果は、大きく分かれていく。商売は、そういうもの。どんな商品でも、大ヒットをする場合は、大衆の心をつかんでいることが前提になる。そもそも、その大衆をどう捉えるかで、結果は、分かれていく。中にな、大衆を、愚かな人間の集まり、つまり、愚衆だと決めつける人がいる。リベラルに多いが、愚衆は、バカだから、感情に訴えかけて、コントロールする必要がある、と考えたりする。共産主義では、優れたエリートが、愚かな大衆を導くと考え、大衆を奴隷化する。ポピュリズム批判には、大衆への侮蔑が含まれている。大衆は愚かだという思い上がりがあるからだ。自分達は、正しいという前提で、大衆を見るため、大衆の反応が理解できない。実は、逆だったりする場合が多い。大衆は、何に反応するのか、それは、天才だ。大衆の中では、天才でなくては目立たない。少し頭が良いぐらいでは、目立たないのだ。エリートは、学歴もあり、学校の成績も優秀。官僚などがそうだろう。だが、大衆は、優れているはずの官僚に、あまり興味を示さない。官僚は、エリートだが秀才タイプだからだ。クラスで、やたらと成績の良いやつはいるが、彼らは、押し並べて人気がない。大衆から、あまり支持されないのだ。官僚には、そういう子供時代を過ごしていた人が多いのではないだろうか。優秀だが、人気はない。彼らは、大衆との心情的つながりが薄く、結局、力で支配するしかなくなる。力は、権力であったり理屈であったりする。大衆を愚かな集団と見下し、自分達の支配下におこうとする。それを、大衆は、感じ取って、また反発する。秀才的エリートと大衆は、敵対する存在でしかない。エリートも大衆を見下すが、大衆も、エリートを嫌い、評価もしない。それが、官僚と国民との基本的な関係だ。このような状態では社会が上手く回る訳もない。そこで、登場するのが政治家で、政治家は、官僚と国民との仲を持つ。官僚は、国に取って必要不可欠な存在なのは確かだが、国民から支持されない。何なら嫌われている。そのため、ことがスムーズに進まない場合がある。官僚は、国民から嫌われているという自覚が欠如している場合が多く、認識のずれは、そんなところから起こる。キャスターも同じ、彼らは、基本、国民から嫌われる存在だ。支持されていると思っている人もいるだろうが、逆だ。大衆が好むのは、天才であって、けっして秀才ではないからだ。この感覚は、秀才と言われた人なら、うっすらと、常に感じ続けていた感覚ではないかと思う。成績は良い。褒めてもくれる。凄いなとかも、言ってはくれる。だが、心の中では、どこか、突き放されたような距離感を感じる。人気者を見る目ではない。それが、大衆の秀才への基本的な対応だろう。優秀であることは認めるが、それだけのこと。気持ちは動かない。むしろ反発したり嫌ったりする。官僚と国民との関係は、そんなものだ。そんな官僚が、商売をするって、そりゃ、無謀というもの。そもそも、消費者の心をつかんでいないでしょ。景気は、気分、消費も同じ、気配であり、気分であり、心のありよう、心情でもある。心をつかまなくては、商売は上手くいかない。まずは、相手の気分を良くしてから、商売の話しを始める。官僚には、この気分が分からない。合理性があるから成功すると思っている。世の中、そう単純にはいかない。
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