毎日のように体力の衰えと向き合っている。
3連休の中日23日は上京して新宿で芝居を観た。そもそもは知己の人が出演するのでおつきあいでチケットを申し込んだのだが、およそこんなにもパワフルな芝居を、それも目の先3メートルで見たのは久しぶりだった。上演小屋は50人くらいしか収容能力のない空間なので、声と心の熱い波形が身体的に伝わって来るような感覚だ。
「頑張れ!」という私にあっては苦手なフレーズを50回くらい聞かされた。が、いやな感じはしない。2時間が経って芝居が終わった時は、「元気をもらった」というおよそ自分らしくない昂ぶりを覚えたくらいだ。
が、帰宅の途につこうとしたら、駅の階段の上り下りでため息をつきたくなるほど疲れている自分がいた。どうしたものか? 来るときとは明らかに違うコンディションだ。歩くこと自体が億劫になり、気持ちが「拒否」している。そんな気力のなさに動揺している私がいる。元気をもらったなんてウソだった。
連休最終日の24日は朝、、クルマで業務スーパーとブックオフの連ちゃん。ブックオフの教育関連書棚に三省堂の『現代新国語辞典』があって、著者のひとりに飯間浩明氏という名が目に入った。朝日の別刷「be」で長らく連載コラムを書いている言葉収拾のプロだ。辞書の内容は中高生以上を対象に置いているので、2色刷りでカジュアルな組版だ。が、どうも漢和辞典的な使い方も想定しているようで、漢字単体の説明や用例が詳細に書かれていた。山中湖のセカンドハウスに国語辞典を置きたいな、なんて思っていたので購入。本全部が2割引きセールだった。
連休も平日もほとんど関係ない暮らしなのに、連休が終わるとちいさな淋しさを覚える。
正午過ぎにペペロンチーノの軽い昼食をとった直後、郵便が届く。先週、著作権許諾の承諾許可書を送ったうちのおひとりで、立正大学の教授。
封筒を切って中身を確認したら、私は粗相をしていた。承諾許可書に誤った先生の名前を書いていたのだった。
先生はさらっと斜線を引いて訂正されていた。
なんてことだ、受領書ではなく謝罪の手紙を書かなきゃいけなくなった。
運がいいというか悪いというか、先生が書かれたアメリカのソロー研究紀要に掲載した論文が同封されていたので、やむなくざっと目を通す。そして、どこかの一文を手紙なりはがきなりに入れ込んで、暗に読みましたよ、ということを伝えれば、自分のミスを挽回できる機会になる。
これがデジタルならGoogle翻訳で一発変換なのに、と半分恨めしく思いつつ、英語の論文を読み出した。
ここを引用したらいいみたい、という箇所にたどり着いたところで、読むのをやめた。
で、はがきを書き始めた。
詫び状一式、トータルで2時間ほど費やしてしまった。
体力も知力も衰え、ズタボロ状態になり始めている。
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