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2024年03月02日05:10

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「短歌人」の誌面より(185)

2024年2月号より。

をさな日に空へ放りし花束が今ごろ落ちてきてかをりたつ  河村奈美江

…アニメか何かなら、この歌の通りの物語を表わすこともできるだろうが、こうして一首として差し出されると、十分に詩化された作品であり、歌会のような場なら一首全体が暗喩の歌ですね、と言われるだろう。幼かった頃に感じていた幸福感、生まれてきてよかったと言いたいような気持ち。それをもう長く忘れていたけれど、今ごろになってそれを思い出して、しみじみとあの頃の感覚に浸っている。僕は労使のコンフリクトに実質上敗れて退職した時にある種の解放感を味わったことがあった。そうだ、いまや何の組織にも自分は属していない、自由なのだ、この感覚は小学校にも幼稚園にも属していなかったあのはるか昔の頃のものなのではないか、と思ったのだった。そんなことを想起させてくれた一首だ。

樹樹の間に遊ぶ子ら見ゆあの中にもうゐないだらうわが孫りくは  時本和子

…何ということはない情景描写+心情の表明の一首なのだが、この歌の読みどころはひとえに4句「もうゐないだらう」の「だらう」である。わが孫りくが今何歳なのかは当然われはわかっていて、したがってあの子らの中にはもうりくはいないのだということもわかっている。そして思うのだ。あんなふうにしてりくも無邪気に遊んでいた頃があった。なつかしい。そして、今なおりくがあの子らの中にいて遊んでいてほしいなあ。今はもう成長して生意気な子になってしまったが…、と。という次第でこの「だらう」は単純な推量を表わす語ではなく、複雑なニュアンスを宿しているのである。

裏声をときをりまじへ池の辺にトランペットがうたふ「君が代」  松野欣幸

…池の畔でトランペットの練習をしているひとがいて、それが聞こえてくる。曲目はなんと「君が代」だ。おそらく何かの大会あるいは儀式で、ブラスバンドの一員として演奏することになって、それに備えているのだろう。しかしまだ上手く吹くことができず、時々音が外れたりひっくり返ったりする。それを「裏声をときをりまじへ」と言ったのが巧みだ。なにしろ曲は「君が代」なのだから尋常な楽曲ではない。大日本帝国憲法の下、天皇教が国家宗教だった時代の国歌をそのまま引き継いでいる問題作であり、常に論争の渦中にある曲なのだ。そりゃあ、時々裏声まじりになっちまうだろうさ、と読者を納得させる力を持つ一首である。もちろん、踏まえられているのは丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』だろう。


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