1月13日土曜日。
今年初めての上京。目的は一つ、高麗博物館で(
https://kouraihakubutsukan.org/)企画展示「ハンセン病と朝鮮人」から学ぶことだ。
小学校の卒業式を終えた某年3月末、父の転勤に伴って高松へ。借りた家は高松市の東端屋島にあった。ハンセン病を知ったのはたぶん中学1年の夏か秋の頃で、それは屋島の尖端に行くと眼前の大島という緑豊かな島があったからだ。ハンセン病者の収容施設「大島青松園」があるだけの島、ということだった。感染力が強いため罹患したひとは島に隔離されるらしい。
タブーと言うより、むしろ誰もハンセン病には関心がなかったと思う。当時は人権無視の隔離政策に対して意義を唱える裁判闘争などもなく(あったかもしれないが報道なし)、私は高校を卒業するまでなんらの知識もなかった。
ともあれ高麗博物館に入館し、展示物を見て回った。展示物は多磨全生園(東村山)と栗生楽泉園(草津)が中心で、大島青松園についてはまったく触れられてなかった。仕方あるまい。傍らでまだ展示作業をされているかたに「かつて高松市民だったので大島青松園についても知りたかったです」と言ってみたら、「あら、昨年に私、長島愛生園(岡山)と大島青松園に行って来たのよ」と答えられ、企画展パンフにその紹介記事を載せた、と。なのでパンフを買わせていただいた。
無知であることはある種の犯罪である。ハンセン病がいい例だと思うのだが、優生保護思想に基づく国策を疑いなく受け容れげいることは反知性的だ。
屋島と目と鼻の先にある島に、人権を無視した収容所があるのだ、そのことを生徒に教えろよ、と屋島中学の関係者と市教委に言いたい。否、全国の児童と生徒に対して少しでもいいから歴史教育の中で説明するべきだ。
収容所のなかで朝鮮人の差別的待遇はなかった。が、国家による補償措置として日本人の患者には年金のようなものを支給し、在日朝鮮人にそれは支払われなかった。この区別に整合性があるとは思えない。ともに国家政策「らい予防法」によって隔離を強制されたのであるから。
20世紀は差別解消の時代だった。
21世紀は差別を容認、助長する時代になった。
憲法で保証された基本的人権が軽んじられ、底の浅いやつらがやたら声を大にして、内なる差別意識を語る。障がい者を嗤ったり、このたびの能登地震では復興に金を出すな(整備する金がもったいない)という主張がネットニュースにずらずらと載っている。
かつては言っていいことと悪いことの境界があった。明確ではない線ではあったが、人権擁護派とそうじゃない人が共に納得できる着地点が線であったりゾーンであったりした。が、ネット世論が力を持つようになると、「それは言わない約束でしょ」という不規則発言が顕著になって、あろうことか右旋回の推進役にさえなってきた。
自分はそもそも差別主義者なところがあって、箸の持ち方ひとつ汚らしい故アベを「家柄良くても育ち悪いね」と心の中で揶揄し、レジの前で長々と操作している年寄りにいらつき、なにかと世間を騒がせているお笑いコンビの面を「猿以下」と断じている。
なので、同族嫌悪もあるのだろう、差別主義者は許せないという気持ちがとても強い。
貧すれば鈍すで、ネット世論は大きな事故や災害が起きるたび、被災者をディする者が増えている。頭が貧しいと心が貧しくなる。経済が貧しいと心が貧しくなる。
社会から離れてよかった。もし社会の一構成員であることに本気で取り組んだら、自分の精神は保たないと思う。
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