1月11日(木曜日)。1が3つ並んだ日。
薄ら寒い一日だった。朝、コーヒー片手に空を見上げると、180度、灰褐色の分厚い雲に覆われていた。まるで典型的な北国の冬空。これでちらっとでも太陽が顔を覗かせるとターナーの絵になるのだが。
朝食後、今年初めの図書館。返却日を3日過ぎて本を返却する。うち1冊は借り直しにした。詩人の解説に必要な資料で、かれこれ4カ月近く、借りて返す借りて返すの繰り返しになっている。それほどに必要なら買えば、と自身を茶化し続けている。
大杉栄関連本を新たに2冊借りた。私はサヨクであってその実、左翼ではない。強いてラベリングをするなら小市民的なアナキストだ。日本語では無政府主義者という意味だと捉えられているが、国家より個人、支配と被支配という社会構造はNON!、秩序や世間知より個人の尊厳や自由を、という考えがあるに過ぎない。
大杉栄とその周辺にいた華々しい活動家たちは、私の考え方に近いような気がする。ただそんな気がしてきただけで、実態はよく知らないので、ちょっと勉強してみようと思っただけである。変型版・自分探しみたいなもんだ。
帰宅後、竹中労が描いた「大杉栄」入門書を早速読み始めた。そもそも竹中労こそが立派でかつ、胡散臭さも漂うアナキストで、文体からして面白い。
出版に就こうとしていた頃、竹中のような著者の本をつくりたいとはあまり思わなかった。というのも、どういう深層心理なのかわからないのだが、趣味に留めておきたかった。仕事になると、精神的に個人的な負荷がかかりそうな気がしていたのだった。
夜の12時に読了。大杉栄の主張より竹中労の個人的見解に共感した。これって本末転倒というか主客転倒だ。
この日、徴用工問題で新日鐵に賠償責任があるという判決がくだされたヤフーニュースの記事を読んだ。コメント欄は韓国(政府と人)に対するヘイトスピーチまみれで、30くらい読んだのだが、あまりの自尊史観ぶりに辟易し、反論コメントを書いた。最後に「一日本人として恥ずかしいヘイトスピーチに対して、私は徹底して戦いたいし、場合によってはYahoo!に告発する用意がある」と締めた。以前、韓国・朝鮮人寄りのコメントを付けたらイイねが1に対して低評価が20あったので、予防線を張っておいた。
1月12日(金曜日)。昨日と一転、快晴。
ブックオフオンラインで購入した古本が店舗着という通知を1週間ほど前に受け取ったので、その店まで行かなきゃ。
朝10時半、クルマに乗り込んだ。こう次から次へと本を買ったり借りたりしていると、読んでも読んでも未読本が積み上がっていく。どんなに気合いを入れたところで、読了できるのはせいぜい年間250冊程度だ。買うな借りるな!
と思っているのだが、ブックオフでも結局1冊、買ってしまい、オンライン購入本2冊と併せて3冊になった。
講談社現代新書でカバーデザインが杉浦康平さんからごくありきたりのカバーになったのはいつ頃だ? 杉浦さんの装幀時代、講談社現代新書は岩波新書のカウンター的存在で、テーマは岩波と較べて現代的なものの、内容は決して劣っていなかった。書き手も硬軟取り合わせてバラエティ豊かだった。が、いまのデザインになって以降、対談集であったり、週刊誌の第2第3特集みたいな興味本位であったり、ゴーストを使ったなという「産地偽装」本が混ざっていたりして、どんどんと品格が落ちて行った。これは講談社に限ったことではなく各社揃って雑な編集になった。新書が一般読者の知的水準に合わせている、と言えばそれまでだけど、なんとなく読者を馬鹿にしているような気もしている。
一昨年前から杉浦装幀時代の新書をせっせと買っては読んでいる。今更教養なんて身に付かないし、付けたところで何の役にも立たない。が、いい新書を読むことで少しでも正気を保ちたいのだ。俗物ゆえに即物的な新書はあまり読みたくない。
今日買ったのは『「死語」コレクション〜歴史の中に消えた言葉』という明治大正昭和庶民史で、新書には珍しい360ページという分厚い本。棚の前で立ち読みしてみたら存外面白くて、内容もしっかりしていた。枕頭の書的な名著かも。
あっと言う間に2024年も2週間近くが経ってしまった。カレンダーを見て焦る。このままぼぉっと生きていたら、2024年が終わりつつある、ということになりかねない。
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