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2023年11月22日05:21

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篠原睦治さんとの最後のやりとり

今年の5月10日の記事(*)にて篠原睦治さんが他界されたことを記した。
(*)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985023191&owner_id=20556102

上記記事にて篠原さんとの最後のメールのやりとりについて触れたが、以下、お互いの近況についてというようなくだりは省略して、そのやりとりの部分のみご紹介する。

篠原さんからは、小国喜弘編『障害児の共生教育運動』(東京大学出版会、2019年)をどう読んだか、というメールをいただいていたのだが、それに対して僕は小国さんたちの「教育学」という限定された関心の抱き方には共感できない、なぜ障害者解放運動の全体を視野に入れなかったのだろう? というようなことを記して、さらに下記のようなことを篠原さん宛のメールで記したのだった。篠原さんからは、それについて折り返し下記のような返信をいただいた。

[以下引用]

【2021.1.27 斎藤→篠原さん】

[前略]障害者解放運動の全体ということとかかわって言えば、「学校」という場をめぐって提起された「共に」「分けない」は、その後、当事者たちの人生の推移に従って「職場」という場でもまた「共に」「分けない」という提起となって闘われたのだろうか、その帰結は現在どのようなことになっているのだろうか、ということが僕は気になります。

障害者という分類に該当する者として生まれて来ると、その者たちのこの社会の中での人生のコースは、特定のものに固定されてしまう、というのが一番根っ子の問題だろうと思うので、学校のみならず社会の中のあらゆる場で、その分離原則への抗いは生じてよいはずで、その中でも生産労働の場である「職場」を外すというわけにはゆかないだろう、と思うからです。

あるいはそうした全体を視野に入れた記述も何処かですでになされているのかも知れませんが、僕は未見です。[後略]

【2021.1.28 篠原さん→斎藤】

[前略]ただ、貴兄の場合、障害者解放という観点から、現在を確かめたいと言われていることにはちょっと戸惑いました。ぼくの場合、「障害者解放」運動に共鳴してきたし、青い芝の会の人たちと随分語り合ってきましたが、「健常者」社会・文化の自己検証が軸だったように思います。ただ今は、以下でも触れますが、齢を重ね、日々衰えていく体力、体調で暮らしていて、この作業はもっと自分の足もとを見つめてやれそう思っています。 [←原文のママ]
当時(不幸な子どもが生まれない運動・施策)から今日まで「命の選別」問題があるのですが、「どの子も地域の学校へ」の願いと主張は、そのことと併行してきました。その意味で、「共生・共育」は「反優生・共生」で確かめていくことであり、「せめぎ合う共生」は、いまこそ過程・渦中のこととして考えたいのです。この辺りで、改めて、貴兄と語り合ってみたいてすね。

子問研の場を開いて半世紀が経とうとしています。
コロナ禍での集いでも、相変わらず賑やかで、ハラハラしていますが、街中の24時間介助、収容施設、作業所等々、さまざまな制約の中で暮らす人たちがいて、何人かは、子問研に、そこから出入りし、子問研から遠のいて行ってしまいました。分類収容が進行する今日、子問研は、その状況を補完しているのではないかと思いますが、とにかく、閉じない、続ける、と愚直に思い続けているところです。[後略]

[引用終り]

篠原さんからのメールに記されている「子問研」は「子供問題研究会」。1970年代、養護学校の義務化(1979年)の是非、すなわち、それまで就学義務の猶予・免除の対象だった養護学校該当児に対して、養護学校も義務教育に繰り込んで特殊教育へ「分ける」のを良しとするか、あるいは「分けない」で誰もが地域の普通学校・普通学級へ通い、共に学び生きるのが良いとするのか、という点が大問題となった時期に、子問研は「分けない」ことを主張し「共生=共育」の運動の一環を担った会だった。篠原さんはその子問研の代表を亡くなられるまでずっと務めてこられたのだった。

また、篠原さんからのメールの文中の「せめぎ合う共生」は、かつて執筆した拙稿のタイトルでもあった(岡村達雄編『現代の教育理論』社会評論社、1988年所収)。当時、教育学徒のはしくれとしての僕の主要な関心事としてこの問題が存在していたのだった。

上記のメールのやりとりは、その問題の続きとして、学卒後の就労をめぐる闘いはどうなっているのか、というテーマをめぐるものだ。この件についてはまだまだこれから…、ということが読み取れるやりとりだったのではないかと思う。

就学の闘いは相手が教育委員会という単一の窓口だったから、ある意味では闘いやすかったとも言える。就労に関してはそういうわけにはゆかない。今、時々メディアで伝えられている「障害の有無にかかわらず共に働く」というレポートは、主としてそのようなこころざしを持った経営者がそうした場を創出しているという話(**)である。「共に働く」というテーマに関しては、なお21世紀の“開明的資本家”の働きによるところが大きいのだろうという印象を僕は抱いている。そんな話を篠原さんとしてみたかったのだが、どうやら彼の関心はあまりそちらには向いていなかったのではないか、というのが僕の感想だった。
(**)例えば… https://gendai.media/articles/-/104226?imp=0

「ゆっくんのエスノグラフィー」(***)にて、〈ゆっくんの最大の望みは、弟も彼と同じ授産作業所で働くことである。一緒に育った弟が、自分と違う世界にいることが、ゆっくんにはどうしても納得できないのだ〉というくだりを引いた。それは、授産作業所を通常の企業へ組み替えてゆくという課題を呼び込むだろう。このゆっくんの望みに応える動きは、なお今後の大きな課題なのではないだろうか。
(***)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1974075361&owner_id=20556102


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