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2019年12月23日19:56

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ゆっくんのエスノグラフィー

野尻英一・高瀬堅吉・松本卓也編著『〈自閉症学〉のすすめ』(ミネルヴァ書房、2019年)という本を読んだ。で、ここに自閉症学なるものの視界が開けたかというと、いやあ、まだまだ…というのが正直な感想である。自閉症と称される現象は、心理学からはこのようにとらえられる、哲学からは、社会学からは、文学からは…というようにして9本の論稿が並び、そこに9本のコラムも加えられているのだが、ありていに言えば寄せ集めの一書だ。巻末に哲学者、小児科医、精神科医による鼎談も掲載されていて、そこでは北海道のべてるの家などで始められている「当事者研究」が話題となっている。これについてはこの鼎談に先立ってぜひどなたかが論稿のかたちで書いてほしかったと思う。

読んでいて一番おもしろかったのは第4章「文化人類学―ブッシュマンとわが子における知的障害の民族誌」の第3節「自閉症と人類学の同伴―ゆっくんの伝記的民族誌」であった。筆者は文化人類学者の菅原和孝さん。「ゆっくん」は菅原さんの長男である。いわばゆっくんのエスノグラフィーといったおもむきの文章である。以下そこにどんなことが書かれていたか、かいつまんでご紹介したい。〈  〉が付いていないくだりは菅原さんの記述の要旨、〈  〉内は菅原さんの記述の引用である。

*ゆっくん(1978〜)が自閉症ではないかと疑い始めた頃、山中康裕の論稿を読んだ。山中は自閉症を「最早発分裂病」と規定し、その成因として幼児早期の母親との関係に注目する。彼は自閉症児の母親たちを(a)母体験欠如型(b)母性拒否型(c)理性的自己愛的美人型に類型化し、その影響はさかのぼって祖母からの三代にわたるだろうと述べる。

*〈自閉症児の父親からの抗議に対する弁明の中で山中は「何も自分から言えぬ子に、おまえが悪いのだ、といってみても治療には役立たない」と書いている。ここで山中は彼の推論に隠された前提を曝露している。自閉症は「悪い」ことなのだ〉

*〈ゆっくんを育てる中で最も困難だったのは、2歳半で異常に気づいてから小学校入学までの4年間だった。とくに親を追いつめたのが、概念空間から侵入する有罪宣告と表裏一体になった「自分たちの努力次第でいつか普通の子になる」という希望であった。ここでわれわれを支配していたのは、ゆっくんの発する頑強な自発性を異常行動(悪)として捉え、それらを「なくす」という達成目標にむかって努力するという姿勢であった〉

*田口恒夫の「田口療法」にコミットしたこともある。彼も子どもをひたすら抱きしめて初期発達での母子密着の不足を取り戻す、と説く。〈NHK教育テレビの「ことばの治療教室」に出演していた田口の育児方針は当時大きな影響力を揮ったが、彼はその著作やTVでは「自閉症」というラベルを使わなかった。田口が札幌を訪れたおりに一家で面談する機会をもった。そのときの田口のことばで、長く記憶に残ったものがある。「弟さんは大きくなったら家から巣だってなんの頼りにもならなくなります。でも、ゆっくんは、お父さん・お母さんが歳をとって体が不自由になったら、助けてくれますよ」〉

*田口の行動学理論は、母子密着の量のみに着目し、自閉症の行動パターンの質を問題にしなかった点で妥当性を欠く。〈田口学派が奨励した小学校への就学猶予という戦略は間違っていた。だが、田口の思想の根幹にあった、自閉症(さらには広く精神薄弱)という実存のあり方を全面的に肯定する身がまえは高く評価されるべきである。彼がめざしていたことは、自閉症者が家族の中で穏やかに暮らし続けられるよう手助けをすることであったと思われる。だが、両親はほとんど必ず自閉症の子よりも先に死ぬ。田口療法の最大の問題は、清らかな光に包まれた「聖家族」が解体したあとも自閉症者の幸福はいかに確保されるのかを展望しえなかったことである〉

*大江健三郎を若い頃から愛読してきた。〈イーヨーの言動がゆっくんを連想させることに微笑ましさをおぼえたとき、私はある実存を自閉症というカテゴリーにあてはめるかどうかにこだわる、分類への欲望から遠ざかっていたのだと思う〉

*この子は「治る」ことなどあり得ないという認識にわれわれ夫婦は至った。この子は家の中に閉じこめられて退屈しきっている、と確信した。田口の推奨する就学猶予などとんでもないことだ。小学校に入学して、養護学級担任の女性教諭はわが家の「命の恩人」になった。

*例えばこんな事例。ママが揚げ物をするときにゆっくんは癇癪を起こす。油を切るために鍋の縁に菜箸を打ちつける音がイヤなようだ。それからは「ゆっくんの嫌いな音たてるよ」と予告してから箸を打ちつけると、ゆっくんはにんまりするようになった。〈こうしたささやかな発見は不思議と妻を力づけた。時が経つにつれて、儀式的な固執、反響言語(エコラリア)、構語不全といったゆっくんの特異性を楽しみ、その頑強な自発性を尊重する構えが、親の側にできあがってきた。そうなったとき、親の視点からのやりとりの記述は、ある種のユーモアに彩られたものになる〉

*中学校(養護学級)→養護学校高等部へ進学。高等部卒業後のこんな事例(2007年12月、29歳)。ゆっくんはこんな漫画を描いて親を大笑いさせた。一人暮らしをしている弟がこたつのスイッチをいじっていて、そこに「いけない、こたつをけしわすれた。もうひとりでくらしません」という吹きだしが付いている。こんなかたちで彼は弟への心配を伝えたのだ。〈ゆっくんの最大の望みは、弟も彼と同じ授産作業所で働くことである。一緒に育った弟が、自分と違う世界にいることが、ゆっくんにはどうしても納得できないのだ〉

*〈われわれは、自分たちがもっと高齢になったら、彼を福祉施設に入所させなければならないと考えている。だが、ゆっくんがわれわれを淡々と介助してくれる姿を空想すると、知的障害ゆえの被傷性をおびた彼と共に暮らすことが、かけがえのない祝福であったことにあらためて気づかされる〉


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