2023年７月号より。
ふふふんと双子ベビーカーを押す男すれちがひふりかへり見惚れる 川井怜子
…鼻歌を歌いながら男は双子のベビーカーを押してこちらへやってきてすれ違った。いつもはやらないようなことをやっているので大変だ、ではなくてこんなふうにベビーカーを押して歩くのは手慣れたものさ、ちょっと楽しいことなんだよね、というのが「ふふふんと」だろう。たいていは母が、すなわち女性がやるのではないかと思うようなことを、父が、男がやっている。ベビーカーを押しているのだから、男もまだ若い年代だろう。いいなあ。すてきだなあ。思わず振り返った。「ふり／かへり」の句跨りに「思わず」感が表れている。そうしてその後ろ姿に見惚れた。なんていい男！すてき！とまでは言われていないが、そんな心踊りがよく伝わってくる一首だ。
人間で言えばいくつと問うひとのあなたは猫で言うなら五歳 丸山るい
…第22回�眄ゾ渕�賞作品「獣毛」15首より。４句に「猫」が出て来るので、初句〜２句は猫の年齢のことなのだろうとわかる。猫の年齢を聞くのに、そのままの年齢ではなくて、金本位制ならぬ人間本位制で、人間の年齢に換算したらいくつかとあなたは問うた。あら、失礼ね。猫の年齢は猫本位制で聞きなさいよ。それならあなただって猫本位制で言えば五歳よ。どう？ こう言われたらどんな気分？ というわけだ。あなたに対して憤りましたというほどではなく、ちょっとまぜっ返してやったのよ、というお茶目な物言いを一首にした。「問うひとの」の「の」が上手い。
嫁はいない車は捨てた外は雨だ晩節はそれブルースなのよ 松岡修二
…嫁はいない。車は捨てた。そのうえ外は雨だ。わが晩節はこんなざまだぜ。ええい、ままよ、これはもうブルースにして歌うしかねえよ、という嘆き節なのだが、嫁と車に加えて雨まで投入して、そこへ「それ」の二音を置いた。それはもうブルースとしか言いようがない、という「それ」なのだが、「あ、それ」というお囃子のようにも聞こえて、「なのよ」で受けていて、嘆いているわれを自己戯画化している歌。読者はクスッと笑っちゃうだろう。
キリストの再臨を説く看板は外され塀に矩形をのこす 桐江襟子
…何処の教会なのか知らないが、かつて僕もこの手の看板をよく見かけたことがあった。たぶんそれと同じ方々なのだろうと思うが、海水浴場の砂浜を「悔い改めよ」とか書かれたプラカードを掲げてしずしずと歩く一風変わった人々を見かけたこともあった。教会事情はとんとわからないが、たぶん日本基督教団などの大手の（？）組織には属していない少数派の教会なのだろう。大手は街中にキリストの再臨を説く看板を出したりはしない。どのような経緯があったのかその看板は外されて、塀に看板の跡の矩形が残っている。キリストの再臨って、こんなふうにお手軽に看板にされたり、それが外されて矩形だけ残されたりしていいものなのか。という批評眼も感じられる一首だ。
白票を投ずるか花を燃やさうか懶惰乱だらんだのゆくへ 岡本はな
…４月の統一地方選だろう。この選挙区の候補者中適任者を認めず。というわけで白票を投じようかどうしようかと思案しているところ、この持って行き場のないもやもやでいっそ花を燃やしてやろうか、と思う。しかしこんなふうにブツブツ言っているのは、所詮安全な観客席で何の行動も起こしていない懶惰なわれなのだ。しかしそれは「乱だ」でもあるぞ。どうなるこのわがらんだは…と詠まれている。僕はある時点から選挙というのはあくまでも相対評価なのだと割り切って、支持していない政党の候補者にも一票を入れたりするようになったが、かつては白票を入れたり「適任者なし」と書いて投票したりしたこともあった。そういうクソ真面目さをそのまま歌にしてもつまらない。「懶惰乱だらんだのゆくへ」でおもしろい歌になった。
【最近の日記】
盛田常夫の２０世紀社会主義批判
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985536639&owner_id=20556102
短歌の読み方
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985522834&owner_id=20556102
癌という記号
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985509172&owner_id=20556102
ログインしてコメントを確認・投稿する