mixiユーザー(id:20556102)

2023年07月22日08:25

199 view

盛田常夫の20世紀社会主義批判

昨年の12月17日の記事(*1)に、盛田常夫(在ハンガリーの経済学者)の「なぜ20世紀社会主義は狂気の独裁者を生み出したのか」(リベラル21 2022.3.18)からの引用を載せた。
(*1)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983944939&owner_id=20556102
盛田はその記事にて、彼の著書『体制転換の政治経済社会学』(日本評論社、2020年)によって中東欧社会主義の歴史的総括を行なったと記していたので、その著書を読んでみた。以下その感想(1)〜(6)を記す。(1)はリベラル21の記事にも記されていたもので、盛田の20世紀社会主義批判はこの(1)の項のみに絞り上げてしまってもよさそうなのだが、続く(2)〜(6)は僕がこの盛田の著書から強く印象づけられたことがらをランダムなメモとして記したもので、必ずしも盛田自身の論点整理には従っておらず、また、盛田の論旨からはみ出して僕の感想を挟んだ箇所もある。

(1)20世紀社会主義は「戦時社会主義」だった。その特質は…

1. 労働者階級啓蒙主義(いわゆるプロレタリア独裁)にもとづく共産党独裁(世俗の王制)
2. 軍事組織をモデルとした共産党組織
3. 政治警察による敵対者の圧殺
4. 共産党独裁が生み出す個人(崇拝)的独裁政治(世俗の王=共産党書記長)
5. 所有・営業の国営化・集団化のもとでの戦時的配給制度にもとづく生産と消費の制御
6. 体制批判、党批判の排除と西側への旅行制限による鎖国
7. 戦時体制を永続化させる反帝国主義イデオロギー

20世紀社会主義はその崩壊に至るまで上記7項の特質を変えることができなかった。すなわち、持続的に発展する平時の社会主義社会を構築できなかった。人民の共和制を目指したはずの社会主義はこのようなものに転落し、崩壊した。労働者階級を指導する共産党に絶対的な正義があり、その正義に立ち向かう者には容赦ない攻撃を仕掛けるという信念には、絶対主義的な権威主義と宗教的な偏狭さが混ざっていた。人類が完全な共和制社会を樹立するには、まだ100年あるいは200年を要するだろう。今、我々は20世紀社会主義崩壊後の混乱を目の当たりにしている。

(2)弁証法は忘却され、その後復活した。が……

資本主義社会の矛盾を止揚したはずの20世紀社会主義は、しかしなお地の上の人間が作った社会なのだから、そこには新たな矛盾が存在し、それは弁証法的に発展してさらに高次の社会へと止揚されてゆくべきものだろう。しかし、そこにはどのような矛盾が存在するのかについては、マルクスないしマルクス主義のテキストには書かれていない。20世紀社会主義において共産党独裁を敷いた者たちは、その新たな社会にも新たな矛盾が存在するであろうことを忘却し、あるいは戦時体制ゆえにそうしたことを考慮する余裕もなく、反革命勢力から現体制を護りそれを維持することに専念してしまったのではないか。その結果、そこに生起した新たな矛盾、すなわち共産党独裁下での支配−被支配関係という矛盾に対する人民の反乱によって点火された20世紀社会主義の崩壊を帰結した。弁証法はそのようなかたちで復活した。ただしそれによってもたらされたものはさらに高次の社会への止揚ではなかった。今、弁証法あるいは止揚というような語はほとんど使われなくなった。ヘーゲルが「絶対精神」をゴールと見なして設定したこの論法は、なおも広義の進歩史観の内にあったと言うべきなのだろう。20世紀社会主義の崩壊は進歩史観の崩壊でもあった。今われわれは、ものごとは変わりゆく、諸行無常、というような見地が、つまるところ普遍的に妥当するものなのではないか、という感慨の内にある。

(3)スターリニズムは東のファシズムとして猛威を振るい、人民はそれに対する反乱を起こした。

1953年のスターリンの死は中東欧諸国で社会的自由を求める運動を活性化し、それがポーランドやハンガリーの人民蜂起を惹き起こした。1956年のハンガリー動乱はソ連の軍事介入によって抑圧されたが、ソ連軍との交戦で多くの犠牲者が出ただけでなく、動乱鎮圧後の動乱参加者の逮捕や処刑が相次ぎ、ハンガリー社会は暗黒の時代を迎えた。1960年代には米ソの平和共存路線への転換によって、動乱で重刑を受けたほとんどの人々が減刑・恩赦で放免され、チェコ=スロヴァキアでは政治的自由化を求める運動が高揚を迎えた。しかし、1968年8月にソ連軍は再びチェコ=スロヴァキアに侵攻し、自由化運動を圧殺して、ソ連型社会主義国家からの離脱を阻止した。二度にわたって東欧社会の抑圧に成功したソ連だが、1980年代に中東欧社会全域に噴出した怒涛のような社会変革を求める運動を抑圧する余力はもっていなかった。ハンガリー動乱はハンガリーの地では1988年末までは「反革命」と公称されていたが、現在は誰もが「56年革命」と言う。しかし誰の何に対する革命だったのかはほとんど議論されることがない。日本の左派の学者は、長らくの間、スターリニズムの嵐のもとでの中東欧諸国へのソ連型社会主義の移植を、ソ連共産党の言う通りに「人民民主主義革命から社会主義革命への二段階革命」とみなしていた。大内兵衛のように、ハンガリー動乱を鎮圧したソ連共産党を肯定して、ハンガリーは遅れた百姓国だと述べた学者もいた。(*2)
(*2)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%86%85%E5%85%B5%E8%A1%9B

(4)私的所有の欲望は20世紀社会主義においてなお継続した。

1990年代の中・東欧諸国は体制転換の過程に入ったが、突然死を迎えた国営企業を民営化するなどということは、最初から不可能だった。そこで展開されたのは、国家や共産党の資産(土地、建物、金融資産)の奪い合いであり、旧体制のエリートがその略奪に成功した。この再分配こそが体制転換における資本の原始的蓄積を形成した。こうして、旧体制のエリートは体制転換後の社会において私的所有の勝者となった。すなわち、20世紀社会主義は私的所有の欲望を止揚するような社会ではなかった。その欲望は社会主義社会のもとで生き続けていたのである。盛田は斎藤幸平の議論(『人新世の「資本論」』)には言及していないが、斎藤の言う「コモン」の感覚などというものは、およそ20世紀社会主義には存在していなかったのだろう。

(5)「交換」と「配分」。20世紀社会主義は市民社会を経由していない。つまりそこには「交換」が不在だった。

20世紀社会主義のもとでの「計画経済」は実際には不可能事であった。その内実は戦時配給経済と同様のもの以上ではなかった。すなわち、国有・公有の財・サービスの「配分」に関する共産党エリートによる政治的決定が「計画経済」と称されていたのだった。「配分」においては、配分する者(支配者)と配分される者(被支配者)という支配−被支配関係が成立する。そこには権威主義的な人格関係が介入しやすく、必然的に官僚的組織が構成される。他方、20世紀社会主義が排除した市場経済は「交換」をベースとして成り立つ。そこには対等な当事者間の水平的な関係が、すなわち市民社会が存在するのだが、20世紀社会主義においては「交換」が存在しなかった。「交換」は「市場」と同義ではない。より抽象的で普遍的な意味を持つ概念であり、例えばそれは民主主義を発展させる必然性を持つ。「[イギリスの]60年代文化革命によって前面化した『個人主義』はイコール『利己主義』ではない」と小関隆は書いていたが(*3)、必ずしも「利己」に帰結しない対等な個人間の「交換」として、政治的な次元での自由な意見交換や、芸術的次元での自由な表現の交換など、多層的な交換の自由を想定することができる。20世紀社会主義に決定的に欠落していたのはその「自由」であった。
(*3)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982708695&owner_id=20556102

(6)20世紀社会主義は「未熟児として生まれた福祉国家」であった。

「未熟児として生まれた福祉国家」は、コルナイ・ヤーノシュ(*4)の命名による。そこでは社会保障制度を支える経済発展なしに、形だけの福祉国家が構築されようとした。労働者に北欧の福祉国家並みの自由時間(余暇)を与えることによって「労働者を大切にする社会主義」を実感させようとしたのだったが、西側諸国との経済格差についての情報が広まると、社会主義経済の失敗が確信されるようになり、社会変動へのマグマが形成された。したがって、体制転換後の旧社会主義諸国の国家目標は、高度な市場経済の発展をベースにした福祉国家の樹立であったはずである。ところが、体制転換以後、市場経済への転換が進まないまま、中欧諸国は経済の国庫経済化というかたちで旧体制の弊を継承し、その福祉国家(社会保障)制度も旧体制時代の制度を継承したまま、大きな変革を遂げることなく現在に至っている。
(*4)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%82%B7%E3%83%A5

[付記]盛田の所説はおよそ上記のようなものであり(ハンガリー動乱前後の経緯などについては詳しくトレースされているのだが、ここでは省略する)、したがって彼が現時点で人類の到達すべき目標と考えているのは共和制のパーフェクトな実現ということになるだろう。日本についてはこの著書の「あとがき」で、天皇制という「啓蒙君主」時代の「臍の緒」の存在に言及されている。しかし眼前の資本主義経済自体が基本的に矛盾をはらんでいて、その超克が問われているという問題意識は盛田にはない。20世紀社会主義の実相をハンガリーの地で何ほどか垣間見てきた盛田としては、私的所有に代えて国有という20世紀社会主義のアイデアは決して肯定できるものではなく、かと言ってそれに代わる資本主義超克のアイデアはいまだ現れていないし、盛田自身も考え及ばないということなのだろう。思えば戦後日本の左翼の運動(の末端に僕もかかわってきたのだが)は、20世紀社会主義の存在に大なり小なり、というか良かれ悪しかれ影響を受けてきたのだが、今改めて考えるなら、われわれもまた盛田と同じ場所に立っているのではないか。金子勝も、現時点での日本社会が目指すべき未来の到達目標は、資本主義に代わる何らかの社会主義ではなく、「イノベーティブ福祉国家」である、と書いている(金子勝・児玉龍彦『現代カタストロフ論』岩波新書 2022年 第3章「カタストロフから新しい世界を創る」)。「イノベーティブ福祉国家」は倉地真太郎の命名によるもので、デンマークを初め北欧諸国が高い福祉水準を保つとともに積極的なイノベーションや雇用政策をとっている政策変化のことだそうだ。福祉国家を産業政策とかかわらせて捉える視点は、盛田の論述と共通するだろう。求められているのは、未熟児ではなく成熟した福祉国家体制だということになる。ただし日本の場合は、それを実現するためには先ずもって“失われた30年”をどのように回復し立て直すのか、という課題をクリアーしなければならないだろう。斎藤幸平(前掲書)は、地球温暖化などの気候変動の問題は資本主義システムのもとで解決することはできない、と言うのだが、彼の提起する「コモン」への漸次的な変革を積み重ねることによってきわめて緩やかに資本は廃棄され、参加型社会主義が到来する、という道筋はいまだ見通しが立っているとは言い難い(*5)。それは20世紀社会主義とは何処がどのように決定的に異なるのか、ひょっとしてそれは「イノベーティブ福祉国家」のもとでも解決可能な課題なのではないか? というような点について、斎藤はさらに議論を重ねてほしい。というようなことも改めて考えさせられたのであった。
(*5)https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978445328&owner_id=20556102


【最近の日記】
短歌の読み方
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985522834&owner_id=20556102
癌という記号
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985509172&owner_id=20556102
【再掲】新型コロナ患者数・陽性率推計値
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985431828&owner_id=20556102
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2023年07月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031