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2022年08月27日23:36

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李禹煥

平面作品はともかく立体は絶対に展示風景が違うと思いますので
地元巡回に先だって東京展も鑑賞しました。
よって作品については兵庫て来年(!)記録します。

李禹煥 Lee Ufan
@国立新美術館
フォト



今回は、作家ご本人出演のトークショーがお目当てです。
何しろおん年86歳なので、生(ナマ)李禹煥をおさえておかないと…
と思ったら全くの杞憂。
登壇するお姿もお声も元気元気でした。よかった。


以下メモ。

司会:館長大阪氏
連続対談シリーズ「対話より」
酒井忠康(世田谷美術館長)と李禹煥

酒井氏はかつての鎌倉近代美術館生え抜きで館長まで務められ、
作家と永年の親好があります。
1993年に李禹煥展を手掛けられたときには
エッセイ集『時のふるえ』(小沢書店1988)を読んで簡単に作品を解釈できないぞ、と身構え
美術館全体を変える勢いの意気込みに驚かされたそう。

李はお馴染み白髪で白シャツに茶色のパンツ。

以下、李の作品にはシリーズがありますので、各々について語っていただけました。

【ガラス】

床面のガラスに大きな石を
落としてひび割れとともに見せる作品について。

「1968年11月、図書整理のアルバイトをしていた新宿朝鮮奨学会で改装工事があり、多量の古いガラスが並べてあったのです。
捨てるというのでそれを貰ってきて割ってみました。
ガラスを割るというアイデアはデュシャンの大ガラスです。
あの場合は偶然割れてしまったのをそのまま作品にしたのですが。
私は重い石でガラスを割ってひびをいれたい。
10枚くらい次々に割っていたら人だかりがして、その中に近代美術館の三木多聞さんがいたのですね。
私は無名でしたが翌年京都近代美術館の「現代美術の動向展」でやることになりました。」
酒井「最近のガラスは良くできていて一定の形に割れるから面白くない、と言っていたね」

【白いカンバス】

「彫刻を作るのではなく"現実に文句を言う否定性"をやりたい。
だからなにも描かない紙かカンバスを並べる、と書いて出したら入選して。
作らない、あるものを壊すという時代の空気が出発点。いい時代を経験したと思います」
大阪「本展にもなにも描かないカンバス3枚の作品はありますね。1枚壁にかけ、2枚は床。
最初は3枚とも床に並べたそうですが今回が特別ですか?」
「69年のときは、壁面は他の方の作品で一杯だったので床に並べてくれと言われたのです」
「その後は海外でも壁に2枚で床に1枚とか色々です」
「69年のときは、屋外で紙を並べたら風でとぶ、捕まえる、またとばされる、とやっているうちにボロボロになる、というパフォーマンスもやりました」
「基本的に、きれいなものを作るのではなく、
何が起こるかわからない情況を作りたいのです」

【海外で】

「李さんの使う素材は
石 /鉄 /ガラス /綿 /紙 とそっけない。
哲学を勉強させていたから
エッセイや論文でも使う言葉が
関係性/身体制/対話/照応。
そうした言葉がかたちになっていったのが70年代ですね」
「ドイツの展覧会には誰が来たんでしたっけ?」
「リチャード・セラが。自分も金属を使うけれどお前の作品は軽く感じる。何故か、と言われました」
「従来の彫刻は作品自身の存在感をみせますが
こちらは別の空間を作るのが目的なので。」
酒井「リチャード・セラといえば最近、砂漠に4枚の鉄板を立て掛ける作品があったね。人類の墓標のようだった」
「シュテーデルの7人展がドイツ進出のきっかけになった。
物を出すけれど空間や関係を見せる。係わらせることで場が開けるんだ。
フーコーの言うように物において言葉とそのものが分離されていった。
"非日常的なきっかけを見せるものでありたい"と。
ドイツには育てて貰いました」
大阪「ドイツで世界文化賞を受賞しましたね」
「なぜジグマー・ポルケじゃなくて李禹煥なんだ? といわれましたね。
いやポルケは病の芸術だから癒しの李禹煥がいいんだろうとか」
「その後はフランスにも進出されましたね」

【アーチ】

「ベルサイユのアーチについては個人的な経験がもとになっています。
(2008年から続く現代アートの展示@ベルサイユ宮殿で)村上隆はキンキラの彫刻を置いたけど自分はどうしよう…
と悩んでいたときにふと信州で見た小さな虹を思い出して。
3ヶ月かけてステンレスのアーチを作りました」
「本展にも小型の物が屋外彫刻として展示されています」
「あれね、皆さん空がきれいだとか周りが違って見えるとか
アーチ自体のことを言わないんですよ(笑)」
大阪「天候とか時刻によって見えかたが変わりますね。
見るこちらの精神状態によっても違って見える」

【直島】

大阪「直島の李禹煥美術館は安藤忠雄さんの設計です。
屋外に建っている垂直の棒は最初は無かったんですよね」
「出来上がってブルーのシートが外されたら、コンクリート4層屋根が重なっていた。
もともと"動物のような空間を作りたい"と言っていたのに
50mの壁がビシッとあると圧迫感で空間が動かない。
翌朝見て、やっぱりなんとかしたい、そうだ横に走る壁に対して縦の棒を建てたら…
で、安藤さんにファックスを送りました」
「安藤忠雄さんにファックス!」
「…1週間経っても返事がないんですよ。
担当の岡野和也さんに恐る恐るきいたら"特に反対もきいてないから待ってて下さい"。
それから4日ほどしてファックスの返事が来た」
「当初は20mといってたんですが最終的に地下4m地上18.5mになった」
「建てて一番喜んだのは安藤忠雄さんでしたね」

【平面 点 線】

「71年パリからニューヨークに行って、バーネット・ニューマンの作品を見ました。
大きなカンバスが並んでいて絵とは思えない迫力がありました。
それで"絵画は終わった"という時代でしたが、自分も絵画をやりたくなりました。
絵画で"時間"をやってみよう、と。
点と線で始めたは子供の頃学んだ書道を思い出したからです。
私の発明ではありません。その変化バリエーションで続いています」

【余白】

(作品を制作する姿の映像。床置きしたカンバスに刷毛で描いている)

「書道も床置きですよね。アメリカの抽象表現主義も
ポロックのドリッピングとか床置きで、アーティストが作品の上に乗って身体を使って描く。
頭に浮かんだものというよりは身体で描く」

「80年代から絵とは描くことと描かないことが響きあって会話が生まれるとわかりました。
ステンレスのアーチも、アーチと自然や空が係わって無限に繋がってゆく。
空いてるところ、じゃなくて描いてないが生き生きして見えるところを余白という。
描くことは描かないこととの響きあいだと。
ようやくスタートラインに立った思いです。
絵をはじめて本当によかったと。
面白いところにたどりついたな、と」

「ボンで展覧会をしていたら、向かいで展覧会をやっていたジグマー・ボルケがやってきました。
おまえリヒターを知ってるか、絵画で可能なことを全てやってみた男がリヒターだ。ただ1つやらなかったことをお前がやっている、といって
ゲルハルト・リヒターを紹介してくれました」

「最近はカラーを使って、より重厚なものが
できつつあるのではないかなと思っています」


【会場からのQ&A】

問い。
作品タイトルについて。
李さんの作品には《関係項》のような無機質なタイトルと《風より》のように詩的なタイトルがありますね。
余白の作品でも《照応》から《ダイアローグ》になったり。
ニュアンスの違いや改題はどこから来るのでしょうか。
また対話とは作品と鑑賞者の対話でしょうか、それとも作品と作者の対話でしょうか。

答え。
タイトルはあまり重要ではありません。
ルーチョ・フォンタナは《空間》で全て片付けていますし
マレーヴィッチやモンドリアンの作品はほとんど《コンポジション》です。
できるだけ意味の無いニュートラルなタイトルがよいと思っています。
最近ですが《対話》が続いたので
私もいい歳ですから《応答》もいいかなあ
対話の先を考えるものとして、また将来の到達点としてこれでもいいかなと思ってつけました。

1時間があっという間でした。
兵庫の展覧会も、是非ご本人による会場構成をしていただきたいと思います。
フォト



11月7日まで。
その後兵庫県立美術館に巡回。
https://leeufan.exhibit.jp/
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