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2022年03月10日20:46

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約1億人の不道徳

 夕飯時、TBS系のニュース番組を見始めたら、駐日ウクライナ大使のインタビューが始まった。聞き手はホラン千秋。
 大使が日ロ関係について、「ウクライナ国民を無差別に殺戮するに到ったロシアと経済活動をすることは不道徳だと考える」という考えを示した。倫理の領域に属する「不道徳」という非難はいささか挑発的だと思うが、実は同感だ。
 即座に「そうだろうね」と同意したのは、偶然なことに今日、日本ユニセフで千円ばかりを寄付したからだ。したがって、たぶんに自己都合的な思考である。
 もう一歩踏み込んで敷衍すると、テレビやネットのニュースを見て、ただロシアに嫌悪感を抱いて怒ってみたり、ウクライナ国民に漫然と同情しているだけの人間は不道徳である、というようなことをこの10日間、ちらちらと感じていた。私は確実にその一人で、敢えて弁解できるとすれば今週の火曜日、「九条の会」のパンフレット編集臨時会議を主に主導していたが(九条改憲についての説明で当然、ロシア・ウクライナ紛争も取り上げている)、それとて自分の得意領域であり趣味的な一面でもあるわけで、自分は不道徳であるという引け目はある。今日の寄付だってたかだか千円(+手数料)ぽっちで、預貯金が1億円を超えている素封家の私には端金だ(ウソです)。痛みを伴うであろう1万円の寄付をしてこそ、一時的に不道徳者から逃れられるというもんだ。
 2カ月くらい前、地下鉄の車両内でタバコを吸っている男を咎めた高校生が逆に暴行を受けて重症を負ったという事件があったとき、その現場にいて関わりを持ちたくないから知らんぷりをするというのは人間的にダメではないか(=不道徳)? 否、そういうヤンキーはキレたら何をしでかすかわからないから知らぬ存ぜぬをするのが賢明ではないかとも考えた。こういう二者択一的な設問は意味がない。それを知った上で、私は常々、こういうくだらない自問をする癖が物心ついて60年近くある。
 数年前「オックスフォード&ケンブリッジ大学 世界一考えさせられる入試問題」という本がベストセラー化した。両大学の面接試験でいきなり問われた口頭試問を編んだ本である。
「蟻を落とすとどうなりますか?」
「あなたならリンゴをどう説明しますか?」
「貪欲は善でしょうか、悪でしょうか?」
「チェーホフは偉大でしょうか?」
 唐突にチェーホフの名前を出されて、一度も読んだことがない受験生は戸惑うだろうな。このような質問のひとつに、「歴史は次の戦争をとめ得るでしょうか?」というのがあった。答えには文庫本5ページ弱が割かれている。
 読んでみたら、ひとつ自分にあってのヒントがあった。
<……さらに新たな問題が出てくる。歴史から学ぶのは誰なのか。個人か? 政治家か? 軍司令官か? 国家か? そして基本的に意見の食いちがう世界で、あるいは行動指針のまったくちがう世界で、どのように学んだことを実践に移すのか?………」
 自分は共産主義者だ、と思うのは、個人も政治家も軍司令官も国家も、共通したある一定領域の歴史的知見を共有するべきである、というやや狭量過ぎる考えがあるからだ。これについても50年以上、変わっていない。
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