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2022年01月29日18:03

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岸田劉生

「麗子」ばかりではありません。
新収蔵品42点に従来収蔵品を加え、合わせて55点が全て1度に見られる展覧会です。

新収蔵記念
岸田劉生も森村・松方コレクション
@京都国立近代美術館

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劉生(1891-1929)38年の生涯の画業を住拠の変遷とともに辿ります。
銀座の薬店に生まれた劉生は十代で長兄と両親を亡くし
中学を3年で中退、支えた牧師の勧めで画科の道を目指します。
展覧会ではまず貴重な初期の銀座時代(-1913)の油彩。
白馬会に属しただけあって
印象派の影響が濃厚です。
《明治末年築地居留地》の路面や階段のモネのような白ピンクとか
《夕陽》の太陽はまるでゴッホとか。

結婚して住んだ代々木玉川時代(1913-1917)は
インク《天地創造》や エッチング《(バーナード)リーチ氏像》がまるでデューラー。
影響がわかりやすい…
また、この時期は宗教的題材が多いのですが
《聖母像》などは西洋宗教画の伝統をなぞらず独自の表現であるのが面白い。

さらに《門と草と道》で
東京国立近代美術館の《切通しの写生(道路と土手と塀)》の現場が登場。
おお。

肺病療養で(後に誤診と判明ってw)転地した鵠沼時代(1917-23)に出てくるのが麗子像。
そして静養中とて静物画を描いたのか、東京国立近美《壺の上に林檎が載っている》の次作《壺》以上に良かったのが
《壜と林檎と茶碗》。

関東大震災を避けて一旦京都に住みますが、ここの作品は少なめ。
浮世絵を収集したりお茶屋で遊ぶのに忙しかったのか…
それでも玄関用に受注した
《寒山拾得》屏風が上手い。うーん水墨もいけるのか。

早すぎる晩年は鎌倉(1926-29)で。
最後の頃、作品を売って渡欧費用を作ろうとしていたというのが涙ぐましい。
売れそうな掛軸仕立ての作品多し。
当時西洋画を志す者は、やはり1度はパリあたりに行くのがスタンダードだったのでしょうね。
志半ばで病に倒れたのはさぞ無念だったことでしょう。
そんな中で大連で描かれた《大連星ケ浦風景》。
劉生はこうでなくちゃ!の作品です。

*****

劉生の旧蔵者であった森村義行/松方三郎兄弟や
草土社を支えた芝川照吉のコレクションも紹介されています。

ブータン《海辺》
は小品ながら素晴らしかった。

常設展示では
・劉生が生きた時代の西洋絵画
〜モンドリアン、エルンスト、マティス等
・岸田劉生の友と敵
〜梅原龍三郎、萬鉄五郎、石井柏亭等
が関連して出ています。

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