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2021年10月30日21:00

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白井晟一

どっしりとした屋根、存在感のある柱。
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白井晟一入門
〜第1部 白井晟一クロニクル
@松濤美術館


白井晟一(1905-83)は現在の京都工芸繊維大学図案科に学びましたが
留学したベルリン大学では哲学を専攻。
建築は独学だったといいます。
それが帰国後義兄の日本画家・近藤浩一路邸の設計を手掛けたことから建築の道へ。
本展が開かれている松濤美術館は晩年の名建築です。
以前から気になっていましたので、白井の多彩な全活動をたどる展覧会、楽しみにしていきました。

展覧会構成は

序章 建築家となるまで
第1章 戦前期
第2章 1950〜60年代
第3章 60〜70年代
終章 70〜80年代
アンビルドの未来建築計画

と時系列を追った展示です。

会場に入ると六本木ロアビルの模型がどーん。

そうですよねえ。
これまで白井作品として頭にあったのは、これとか
親和銀行本店などの重量級建築。それでいてどこかしら宗教的で。

松濤美術館も大きな紅雲石を積んだダイナミックな壁面を湾曲させ、その正面には縦の繊細なストライプと教会のような感じです。
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よって初期の作品をみることができたのは収穫でした。
流行のモダニズム建築とは違う作風だったのですね。


第1作の河村邸(1935-6)は現存しませんが、これが早速『婦人の友』に紹介されたので写真があります。

また、秋田県湯沢市に数々公共建築が残っています。
どっしりとした大屋根、ファサードの柱。
秋田県秋ノ宮村役場(1951)は豪雪に耐えて今も残っています。

興味深かったのは《煥乎堂(かんこどう)》旧店舗(1954)。
こちらは群馬県前橋の書店。
といっても2代目店主はスピノザの研究者であったりと
文学と美術を通した文化的サロンの役割を果たしていました。そんな場所に相応しく
"汝の求むるものは此処にあり"という文字が掲げられ
(ウィーン分離派みたい??)
水場の蛇口には"知識の湧き出る泉"と記されていたといいます。
内部の太い円柱を巡る螺旋階段も書店らしからぬサロンのような造り。

また、親和銀行建築の第3期である《懐霄館(かいしょうかん)》。
中世の塔かと見まがうような石貼りのファサードに深く高く長い切り込みが入っています。
事務センターなので窓も少ないのかと思ったら、
内部には噴水があり、その周囲は深いターコイズの美しい絨毯。
11階には展望室もあるというのには驚き。
ギリギリまで山を削って敷地を確保したというにしては何たるゆとりでしょう。

本展覧会では白井の装丁した本や書の作品も紹介されています。
中公文庫のシンボル、鳥イラストは有名ですが
その他にも《恩地孝四郎の版画集(1975)》や倉橋由美子《夢の浮き橋(1971)》の装丁等々。

『リビングデザイン』という雑誌からは
《豆腐》というエッセイが紹介されていました。
なかなか哲学的な文章で「用」と「常」から
豆腐の美について考察しています。
まるで「民芸」じゃないかと思いますが
白井は民芸はあまり好きでなかったはず、
あ、でも「芹沢啓介美術館(石水館)」は手掛けていますね(1981)。
晩年は丸くなったのでしょうか。

いずれにせよその多才ぶりがわかります。

来年には後期展示として、松濤美術館を建立当時の姿に戻して公開するとのこと。
それで前期と後期の間があるのですね。

https://shoto-museum.jp/exhibitions_current/

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