「江戸時代に於ける隠れたシャアロック・ホームズ」と呼ばれる半七老人。江戸の終わりの頃に岡っ引きとして解決した様々な面妖な事件を回想し、若き新聞記者の「わたし」に物語る。
一見、怪談噺のような事件であっても、鋭い洞察によって、背後にある合理的な原因が示される。更に推理だけでなく、物語を彩る江戸の暮らしや言葉、情趣が印象的である。著者の岡本綺堂は明治五年生まれであり、まだ江戸の名残りが東京の街のいたる所に見られ、江戸の記憶を持つ人々も多くいたので、このようなリアルな物語を書けたのだろう。現代の東京に残る様々な土地の名。そこには江戸の人びとの喜怒哀楽があり、若き日の半七が縦横に駆け巡っていた。そうした遥かな時間の堆積を感じ取ることができるのも本書の妙味である。
「 長い橋の中ほどまで来た頃には、河岸の家々には黄いろい灯のかげが疎らにきらめきはじめた。大川の水の上には鼠色の煙りが浮かび出して、遠い川下が水明かりで薄白いのも寒そうに見えた。橋番の小屋でも行燈に微かな蠟燭の灯を入れた。今夜の霜を予想するように、御船蔵の上を雁の群れが啼いて通った。」
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