ダコタ・ジョンソンが、大物女性歌手の付け人を演じる内幕ものです。「フィフティ・シェイドなんたら」というシリーズで“売り”をセクシー路線に変えた美人女優の孫娘が、なんか突然真面目な音楽プロデューサーをめざすなんて、やはり納得できない作品でした。
いやダコタ・ジョンソンは嫌いじゃないタイプなんです。だから金持ちオトコの言いなりになるあんな映画が嫌いなだけ。しかしまぁ、なんですねぇ。ティッピ・ヘドレンの孫ですよ。アルフレッド・ヒッチコックがお気に入りだった美人女優。御年91歳になる彼女の孫が今年の10月で32歳になる。僕も長いこと生きてきたんだなと実感します。
物語は、スーパースターのグレイス・デイビス(トレーシー・エリス・ロス)の付け人マギー(ダコタ・ジョンソン)が、実は音楽プロデューサーをめざしている、という展開。しかしグレイスは、献身的なマギーを便利に使うだけで、彼女の夢などどこ吹く風なのでした。
というあたりのドラマが画一的で、マギーに対して敬意が感じられない描き方がつまらない。本物のスーパースターなら、もっとマギーに報いるはずだし、そういうドラマにするべきだと僕は思います。もちろん、わがままな歌手はたしかにいるけれど、そんなダメな人間を描いてどうする。グレイスには家事を取り仕切る女性もいて、その女はグレイスのおこぼれが目当てなのでした。
一方で、長年のマネージャー(エージェント?)としてジャック(アイス・キューブ)がいるわけで、彼の商業主義もなんかチャチな雰囲気なので、僕はグレイスがスーパースターには見えなくなったのでした。レコード会社側の連中が、グレイスをお荷物に感じている雰囲気もありきたりだし。
そんな音楽映画をなんで見続けたかと言うと、僕はティッピ・ヘドレンの孫娘がけっこう好きですねん。僕が大金持ちやったら、「フィフティなんたら」を地で行っていたかも。←もっと他にすることがあるやろうけど、ここは話の流れでそうしといて。
で、マギーの父親として、この映画の最後の30分に登場する俳優がビル・プルマンでした。ローランド・エメリッヒの戦争大作では戦闘機を操る大統領を演じていたプルマンが、地域FMのDJですと。まあ、かまへんけどな。そしたら、何が何して、何が何しますねん。この物語展開には呆れ返ってひっくり返りました。
ということで、この映画の中でまことしやかに語られる、“40歳を超えて全米ナンバーワンヒットを飛ばした女性歌手は5人しかいない。黒人女性歌手は一人だけよ”というトリビアを“?”と思ったら、案の定アレサ・フランクリンとティナ・ターナーという2人がおりましたがな。キーになるトリビアを間違える音楽映画はあかんで。
とはいうものの、人のいいビル・プルマンが登場してからは、なんかホンワカしたムードでラストになだれ込みました。こんなオチでええのんかい、とは思うけど、この程度の映画はこの程度の終わり方でええねん、と感じる今日このごろなのです。みなさんも斜めからバカにしながら見たら、少しは楽しめると思いますよ。
御用とお急ぎでない方なら、どうぞ。僕は最近散歩にハマってまして、昨日は広尾に行った後、渋谷の近所に200円でソフトクリームを食べさせるミルク・ホール(?)があったなと、そっちへ足を伸ばし、歩きながらソフトクリームを舐めるという、幼い頃からの夢を実現しました。その200円のソフトクリームのほうが、この映画より幸せを与えてくれましたが、たまにはジャンクフード映画も体験してみたよ、ということです。
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