コロナ禍真っ最中、よくぞ来てくれました。しかも感染者数激増、ロックダウン中のイギリスから。ありがたいことです。
さてもしかし、コンスタブル。ええと、記憶にはありますが、、、と調べたら、86年に伊勢丹美術館で開催されている。当時はカンスタブルと表記。伊勢丹のカードを持っているので、当時伊勢丹美術館へは足繁く通いましたが、当時のチケットスクラップ帳を引っ張り出してもないことからすると、行っていないわけで。
そうなんです、この手の絵画、実はあまり興味がない。印象派以前の牧歌的な風景画は「退屈」、美しいピクチャレスク絵画は空々しく「好きになれない」が本音です。でも、時代は変わった、私も歳を取った(笑)イギリスから遥々きていただきありがたい、心癒されたい、心和むことがありがたい、のでありました。
夢美術館で見たマルケに長谷川徳七氏のキャプション『展覧会では主張しないので印象薄いが、しみじみと深い味わいがある』があり、なるほどモネに隠れて地味だけれど「添い遂げる(笑)」ならマルケかも、と思った。同じように、ターナーに隠れて地味だけれど、じわっとくるコンスタブル、個人的にはアカデミー出品した大型作品よりも、空と大地だけを描いた小さな作品数点がお気に入りとなった。特に、みなさんが評しているように、雲がいい。イギリスのくもり空を知っている人なら尚更だろうと思う。
展示は思ったより数少なく、絵との感覚がゆったりとってあった。来日できなかった作品が1点あり、これは個人蔵だった。
会期始まってすぐ、日曜日12時入館なので、あまり混んでいなかったけれど、今後の宣伝次第で会期末には駆け込み混雑があるかも。
今回、大変興味深かったのは、絵そのものより画家としてのあり方について色々と初めて知った。
ターナーが各地を旅して国内外の景観を多く描いたのに対して、コンスタブルは自らの生活や家庭環境に結びつく場所に愛着を持ち、それを描き続けた。
自分の周りだけ。
好きなものを描き続けるためには、生活の糧となる肖像画の注文も多数受けていた。また、ロイヤル・アカデミー展では注目されやすい大型絵画を発表し、同時に売りやすい小型作品も出展していた。
ロイヤル・アカデミーの正会員となってからは、制約なく本当に描きたかった主題に取り組むようになり、晩年には死後の評価に思いを馳せて、版画による作品集の出版に取り組む。
堅実な生き方をした人なのね。
まず、整理しておきたいのは、風景画というジャンルの位置づけ。当時はまだ、歴史画や肖像画に比して、地位が低かった。ただし、ヨーロッパ全体から見れば(オランダ除く)、英国は風景画を評価しやすい土壌があった。偶像崇拝禁止の宗教改革の本拠地であったこと、社会評価につながる「地所」を描いてもらいたいというジェントルーや貴族の要望があったこと、グランド・ツアーの流行などがその要因。イギリス風景画の父といわれるリチャード・ウィルソンがターナー、コンスタブルに影響を与え、この二人が英国風景画界を牽引した。
それから、コンスタブルの特徴は戸外制作にもある。1804年にイギリスが世界に先駆けて水彩画家協会を設立。戸外での制作は、ミルボードの販売やチューブ絵具の発明で良く行われるようになっていたが、英国の天気は変わりやすい。ささっと仕上げる水彩画が便利で、また写生したものをアトリエで仕上げるのが一般的。が、コンスタブルは、戸外で油絵作品を仕上げたりしているのだ。これはすごいな、と思う。移り変わる雲や動く空気は、そうやって生み出されたものなのね。
もう一つ、コンスタブルは愛妻家であること。収入安定しない画家なもので、ずっと結婚が許されず、それでも思いは一筋十数年、父親の遺産相続人となって生活安定で初めて結婚が許されたという。それが40歳の時。結婚した年に描いた妻の肖像が美しい。
しかし、その愛妻が結核を患い、そのために引越し。療養地となったブライトンは題材として最初気に入らなかったが、そこでも制作し、大作を描いている。しかし、1828年妻マリア死去。その翌年にやっとロイヤル・アカデミーの正会員となる。コンスタブル52歳、遅咲きすぎた、なんと気の毒な…ライバルターナーは26歳で正会員になっているのに。
でも、結婚生活12年で7人もの子宝に恵まれていて、うち5人が絵を描いていた。なかでもライオネルは絵が上手で、コンスタブルの作品と区別が難しいほどだという、最後に1点展示あり。
お家大好き、家族大好きの人だったんだろうなぁ。一方で、晩年は死後の評価を気にしていたのだから、地位と名誉にも固執していたわけだ。1歳違いのターナーとはライバルのように言われているが、ターナー自身は26歳で正会員になっているから、コンスタブルは相当忸怩たるものがあったと思う。
一方、後述する作品で、ターナーはコンスタブルにものすごい闘争心を抱いたエピソードが残っていて、これは1832年のこと、二人ともロイヤル・アカデミーの正会員ではあるけれど、ターナーの方が大先輩なはず。これは実力・人気の上では拮抗していた証拠と見ていいかな、となると、コンスタブルは何故もこんなに出世に遅れたんだろうと余計な詮索をしてしまう(笑)
展示は思ったより数少なく、絵との感覚がゆったりとってあった。来日できなかった作品が1点あり、これは個人蔵だった。いつもの撮影コーナーはただの休憩所、最後に1点のみ撮影可の絵あり。
会期始まってすぐ、日曜日12時入館なので、あまり混んでいなかったけれど、今後の宣伝次第で会期末には駆け込み混雑があるかも。
https://mimt.jp/constable/
19世紀イギリスの画家ジョン・コンスタブル(1776−1837年)は、一歳年長のJ. M. W. ターナーとともに自国の風景画を刷新し、その評価を引き上げたことで知られます。 ターナーが絶えず各地を旅して、国内外の景観を膨大な数の素描に収めたのとは対照的に、コンスタブルは、ひたすら自身の生活や家庭環境と密接に結びつく場所を描きました。 故郷サフォーク州の田園風景をはじめとして、家族や友人と過ごしたソールズベリー、ハムステッド、ブライトンなどの光景を写した生気あふれる作品の数々は、この画家が何を慈しみ、大切に育んだのかを雄弁に物語ってやみません。
日本では35年ぶりとなる本回顧展では、世界有数の良質なコンスタブルの作品群を収蔵するテート美術館から、ロイヤル・アカデミー展で発表された大型の風景画や再評価の進む肖像画などの油彩画、水彩画、素描およそ40点にくわえて、同時代の画家の作品約20点をご紹介します。 国内で所蔵される秀作を含む全85点を通じて、ひたむきな探求の末にコンスタブルが豊かに実らせた瑞々しい風景画の世界を展覧します。
1 イースト・バーゴルドのコンスタブル家
1.1 初期の影響と同時代の画家たち
2 自然に基づく絵画制作
2.1 同時代の画家たちによる戸外制作
3 ロイヤル・アカデミーでの成功
3.1 ハムステッド、およびコンスタブルと同時代の画家による空の研究
4 ブライトンとソールズベリー
5 後期のピスチャレスクな風景画と没後の名声
5.1 ロイヤル・アカデミーでの競合
5.2 イングランドの風景
5.3 晩年
1809年頃《イースト・バーゴルド・ハウス》
生家を描いた小さな絵だが、私はまずこれがすごく気に入った。愛着を持って描く風景。
1804年《ブリッジズ一家》
生計のために注文を受けて肖像画を描いていた。10人中7人が女、そして全員白いドレス、何か意味があったっけかな。
正直、、、、あまり上手じゃないなぁと思った。風景画の方がずっといい。それは下記紹介の《麦畑》でも感じる。
1809年《モルヴァーン・ホール、ウォリックシャー》
完全戸外で制作仕上げた作品。その空気を吸いながら、風を肌で感じながら描くことは大切なことなのだろうと、思う。
《麦畑》(ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵、展示なし)
展示は、この原型となった1817年の作品。奥へと続く道には誰も歩いておらず、人影なし。この風景を用いて、後に羊の群れと羊飼いの少年を描いたのがこの作品で、展示はないが、この絵を元にして作ったルーカスの版画(1834年)の展示があるので比較ができる。小川で這いつくばって水を飲む少年の格好があまり上手くないし、人がない方が好み。
小さい作品だったが、《フラットフォード近くの小道》は、戸外制作らしく、タッチは粗めだが勢いがあって、生き生きとした絵で、素晴らしかった。
1821-22《ザ・グローヴの屋敷、ハムステッド》
この絵もまた生き生きと、縦長なのに空の広がりを感じさせるすてきな絵。
この1812〜22の間には、空の研究をして100点近くの空ばかりの習作を描いているという。
1822年《雲の習作》
ああ。むしろ雲だけで十分絵になるやん!ふと田中一村の《アダンの海辺》の空を思い出す。高く遥かな空を描くことの難しさと楽しさ。
1824年《ブライトン近郊の風車》
そして、本展の目玉、ターナーvsコンスタブル。
二作品がそろうのは1832年の展示を除くと本展が3回目で、ロンドン以外では初めての展示とのこと。
コンスタブル《ウォータールー橋の開通式》
ターナー《ヘレウーツリュスから出航するユトレストシティ64号》
その1832年のロイヤル・アカデミー展でのエピソードとは、一般公開される前に、コンスタンブルの作品が自分の作品と並んでいるのを見たターナーが、その華やかさにびっくりして「やばい!このままではコンスタブルの作品が目立ってしまう!」と、会場で最後に手直しできる「ヴァーニング・ディ」に、赤のブイを描きたしたということ。右下に赤のブイを入れることで作品がグッとしまったそうだが、これを知ったコンスタブルは「ターナーはここにやってきて、銃をぶっ放していったよ」 と発言したとか。
目立ちたい!というライバル心あからさまの、ちょっと苦々しい、ターナーにしては不名誉なエピソードだが、その会場がここに再現されているのだ。実際は、このように角だったか、横並びだったのかはわからないけれど。
ターナーの絵はコンスタブルの約1/2の大きさ。そもそも取り上げる題材が違い、コンスタブルのは賑々しく、相当描き込んである。ターナーのは、ターナー色(黄色)を寒色系でまとめて光が綺麗。どちらがいいというものではないと思うけれどなあ。
それでも、遅咲きのアカデミー会員が人気のターナーを脅かした話は、話として痛快だね。
最後の絵は撮影可の1836年《虹が立つハムステッド・ヒース》
実際の場所には風車はなく、虹は晩年好んで描いたという。
5月30日まで
早咲きの桜が少しだけ開いていました
ログインしてコメントを確認・投稿する