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2021年02月12日20:18

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ショーペンハウエル『女について』

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森さんは愚直すぎたということかな。森さんの元々の発言自体は、全文を読めば女性蔑視どころか、彼なりに女性をリスペクトしていることがわかる。女性蔑視とは、ショーペンハウエルの『女について』みたいな言説のことをいう。試みに少し引用してみよう。

「女の姿態を一瞥すれば、すぐさま、わかることだが、女は、精神的にも肉体的にも、大きな仕事をするのには、生まれつき、ふさわしくないのである」

「私たちがごく幼い時分、私たちを育て、ものを教えこむのに、女が全く適役であるのは、女というものが、みずからも、子供っぽく愚かしくて、そのうえ、身近の物ごとだけを見ている、いわば、一生、大きな子供であり、要するに、子供と、真の人間である成年男子とのちょうど中間に位する段階に属するからである」

「女性の狡猾さは、本能的といってもよく、その嘘つきの傾向を全然なくしてしまうことは出来ない。けだし、自然は、獅子には爪と歯とを、象には長い牙を、猪には短い牙を、牛には角を、烏賊には水を濁らす墨汁を与えたように、女性に対しては、自己防衛のために、「いつわる力」を与えて、武装させたのだ」

「男性と男性の間には、おのずから、単に無関心があるに過ぎないけれども、女性と女性との間には、早くも生まれながらにして、敵意が存在する。だから、いわゆる商売敵の憎しみは、男たちでは、それぞれ彼らが属する同業組合にもとづくものに限られているが、女たちにあっては、その憎しみが全女性を包括している」

「なお、初対面の際、二人の女性は互いに、同じ場合に二人の男性が示すよりも、明らかに、より多くのわざとらしさや、いつわりの虚飾を表す。だから、二人の女性の間にかわされるお世辞は、男性の間のそれよりも、はるかに滑稽なものとなる」

「また、男性は、自分よりずっと目下の者に対してすら、常に、やはりある程度の遠慮と人情味とをもって話するけれども、高貴の婦人が、身分の低い(しかし、自分の召使ではない)女と話をするとき、一般に、いかにもいばった、そして、さげすむような態度をとるのは、はたで見ていても我慢がならないくらいである」

「背の低い、肩幅の狭い、臀の大きな、足の短い種族を、美しいものと呼びうるのは、ただ、性欲のために呆けている男たちの知性だけである。すなわち、女性の美は全く、男性の性欲衝動のうちに包まれているのだ。女性は、これを美しいものと呼ぶよりも、むしろ、非美学的なものと呼ぶほうが、ずっと正当だろう」

「音楽に対しても、詩作に対しても、さらに、造形美術に対しても、女たちは、事実上また本当に、感受性や理解を有ってはいない。もしも、そのようなもので女たちが感激したふりをするなら、それは女たちが他人に迎合するための単なる模倣に過ぎないのだ」

「女たちは、いわゆる「セクス・セクイオール」〔価値の劣る性、アプレイウス『メタモルフォーセス』第七巻第八章〕で、どの点から見ても、男性の後ろに立つ第二級の性である。それゆえ、男性は女性の弱さをいたわってやらねばならぬ、とはいえ、女性に対して尊敬を払うのは、度はずれに滑稽なことである」

「われわれの選択と好みに影響する最も重要な要素は年齢である。十八歳から二十八歳までの期間が最もよい。これに反してこの年齢以外の場合は、どんな女もわれわれには魅力的ではない。年老いた、つまり生理の終わった女はわれわれに嫌悪の情をもよおさせるだけである」

――これ以上引用すると、僕自身が森さんと同じようなバッシングに曝される恐れがあるのでこの辺でやめておくが、怖いもの見たさで興味のある人は、実際に自分で『女について』を手に取ってもらいたい。いずれにせよ、ショーペンハウエルに較べれば森さんの発言なんてかわいいものだ。

ただ、森さん自身に女性蔑視のつもりがなかったのはわかるけど、表現や言葉のチョイスが稚拙すぎて、ノイジー・マイノリティにジャックされているマスメディアの格好の餌食になってしまった。現在のマスメディアがピッキング・ジャーナリズムに堕していることは、いままで散々ターゲットにされてきていて身に染みてわかっているだろうに、それでも無防備な発言をしてしまうのはリスクヘッジの意識が低すぎるということになるから、大任にはやはり相応しくないということになってしまうのかな。しかし、それでも、僕は森さんを気の毒に思う気持ちが強い。ああいう愛すべきオッサンの悪気ない言い損ないを許容しない社会のどこがダイバーシティだよと、薄ら寒いものすら感じる。

それにしても、猪瀬直樹、舛添要一、ザハ・ハディド、佐野研二郎、竹田恒和、桜田義孝……とこれまでも多くの兵どもが散っていったけど、ここにきてラスボスと思われた森さんまでキックアウトされ、壮絶なサバイバルゲームと化してしまった東京五輪、大会そのものまで吹っ飛んで、本当に「兵どもが夢の跡」にならなければいいのだけど。

東京五輪は、あるいは永遠に到達不可能なカフカ的ユートピアなのかもしれない。そう考えれば、森さん以下、猪瀬直樹、舛添要一、ザハ・ハディドといった、五輪を巡る不条理の迷宮で彷徨う人々も、「K」の分身たちのように見えてこないでもない。

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