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2020年11月16日11:21

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ゴミのような芸術か、芸術のようなゴミか、

ゴミのような芸術なのか?芸術のようなゴミなのか?
 有名な話なので、知っている人も多いかと思うが、現代アートの作品を道端に置いていたら、ゴミと勘違いされてゴミ収集車に持って行かれてしまった、と言うエピソードがある。現代アートを揶揄するために良く使われるのだが、その発端は、デュシャンと言う詐欺師的芸術家だった。詐欺師的な芸術家なのか、芸術家的な詐欺師なのか、で大きく変わるだろうが、一応、美術界では、デュシャンは、芸術家、ということになっている。分かりやすく言うと、ゴミを芸術にまで昇華した御大だ。ゴミをゴミのまま、手を加えることなく、芸術だと認めさせたわけだ。そのゴミというのが使用済みの小便器だった。実際に捨てられていた小便器を、デュシャンが拾ってきて、アンデパンダン展に偽名を使って出品した。アンデパンダン展というのは、無審査の公募展で、誰でも、どんな作品でも出品できる。デュシャンは、その関係者でもあった。デュシャンが偽名を使って出品した、使い捨てられた小便器は、そのアンデパンエアン展でも展示されなかったようだ。嫌がらせだと思われたのではないだろうか。ひどい臭いのする作品とか、あまりに大きい作品とか、危険な作品とか、無審査のアンデパンダン展とはいえ、出品を拒否される場合もある。全く話題にもならなかった便器だったが、ここからデュシャンの猛烈な反撃が始まった。結果、便器は、芸術作品に化けて、美術館に収まることになる。最初の使用済みの汚れた便器は、捨てられてしまったようだが、同じ形の新品の便器にデュシャンがサインを書き、それが芸術作品として認められた形だ。このデュシャンの主張は、後のアート界に大きな影響を及ぼしていく。現代アートの一つの方向性を作ったとも言えるだろう。大量生産される工業製品をアートにするという試みだ。レディメイド(LADYMADE)既製品と言われ、アメリカのポップアートなどは、この流れになる。また、ゴミを素材にしたアート作品も大量に制作されるようになる。既製品であれ、ゴミであれ、それを美しい、芸術だと思えば、それは芸術作品なのだという究極のわがままが現代アートだとも言えるだろう。デュシャンの意図はともかく、どのような作品であれ、芸術だと認めよう、という考え方が、主流となっていく。たとえ、作者だけが、アートだと思っていても構わない。それが現代アートなのだ。個人の価値観を最大限に認める、という考え方だ。いわゆる伝統的な意味での芸術と現代アートでは、価値観も捉え方も違う。この辺りを混同してしまう人が多いのだが、芸術だと言えば価値があるのではなく、作者が、芸術だと思ったから芸術なのだ。そこに社会的な意味での価値があるかないかは問題ではない。他の人には、ゴミに見えても構わないわけだ。ポップアートは、そういうものだ。テレビなどのメディアがおかしくなっているのは、このようなポップアート的、現代アート的な感覚や価値観を理解できていないからではないかと思う。鬼滅の刃の大ヒットに戸惑うのも、そこに何があるのか理解できないからではないだろうか。価値観そのものが古く、権威的で、上意下逹が染み付いてしまっているのだろうか。アニメや漫画は、まさにポップで、社会的な意味での価値評価とは関係のないところで多くの大衆に支持されている。それを愚集のたわ言と斜に構える人もいるだろうが、便器と小一時間ほど向き合ってみるのもいいかも。便器は、何かを語ってくれるかもしれないし、何も語ってくれないかもしれない。便器を、ただの便器だ、と思ったとしても、何の問題もない。現代アートとは、そういうものだ。
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