台風がこれまで見たことがないような進路となって、直撃を免れた。島嶼部の住人には申し訳ないが、逸れてよかった。
昨日の夕刊で読んだ「異端の島」の映画評をどうしても忘れたくない。
<ナチスのホロコーストから逃げる、ひとりぼっちの少年の旅。流浪するなかで出会う人々はそれぞれに暴力的で、少年は次から次へと残酷な仕打ちを受ける>という筋立てなのだが、評者・真魚八重子・映画評論家)は以下のように感想を述べていた。
<本作を観ながら、華厳経に登場する善財童子を思い出した。仏教徒の少年が53人の指導者を訪ねて教えを乞い、ついには真理の世界へと到達する物語だ。善知識と呼ばれる53人の中には遊女や商人、異教徒もいる。善財童子は多様な人々に出会う求道の旅を辿ったが、「異端の鳥」も少年がひたすら人間の恐ろしさ、邪悪さの暗黒面を体験していく旅である。どちらも確かに人間が持っている本質であり、偏った視界ではあるが真実の一部だ。
映画において、少年のような異物を攻撃する者は集団でやってくる。自分では何も考えず、善悪を見極める冷静な判断をなくした愚かな徒党は恐ろしい。自分がそんな渦にのまれて正しさを見失ってはいないか、足場を確認して日々を送りたいと改めて思う>
これほど長文を引用するのはよろしくないことだが、ことに第2段落は今の時代に対する強烈な批判だと感じたので、メモっておきたい。
個人が自分に立ち返って考える、自分に引き寄せて考える、ということをそもそも日本は疎かにしてきた。一見日本人はわがまま放題のくせして、実はそのわがままは国家から与えられた代物でしかなくて、個々人は自立しているわけではない、と私はこれまでなんとなく思ってきた。
半年ほど前、旧字旧かな遣いに慣れるため、昔の文学を読んでいて、漱石の講演録をデジタルで読んだ。学習院での講演で、タイトルは確か『私の個人主義』だったと思う。
個人主義とはなんぞや? 漱石の結論は「他人を認めること、尊重すること」だった。
ネットと反知性主義政権の相乗効果によって、「異端の島」評どおり、<自分では何も考えず、善悪を見極める冷静な判断をなくした愚かな徒党は恐ろしい>ことを毎日のように実感している。これは日本に限ったことではなく、近い例で言えば、一昨日のアメリカ副大統領討論なんかでも、共和党のペンスはトランプ並みに相手の話を途中で遮ってはチャチャをいれたり、発言自体を妨害していた。こうなると、声と態度のでかいもん勝ちで、民主党の副大統領候補がなおいっそう知的に映る。しかし、知性的な一切を嫌う”保守層”はペンスの態度を支持する。
大正時代にあって、漱石は個人主義の根源を早くも見抜いていた。自分を尊重するのではなく人間を尊重する、というのが個人主義であると。
今日は終日、詩人の遺稿と向きあっていたので、こんなことしか特記事項はない。
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