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2020年08月22日01:23

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ドラマの核に“事実”を置いたことで、主人公の心の揺れがアクチュアルになった。デスティン・ダニエル・クレットン監督「ヒップスター」(2012)。

この映画については、原題が「私はヒップスターではない」なのに、邦題が「ヒップスター」となっているということが、些細なことなのでどうでもよくなりました。“ヒップスター”という言葉が、“最新のトレンドやファッション、特に文化の主流から外れていると見なされている人をフォローしている人”のことを言うらしいのですが、それすらもどうでもいい。

サンディエゴに住む主人公のブルック(ドミニク・ボガート)は、1枚アルバムを発売して一部から注目されたミュージシャンですが、母親の葬式に出ようとしてその気になれず、出かけたものの行かずに戻って来たダメ男です。ダメ男というのは言いすぎですが、自分自身に落胆している。そこへ妹から電話で、みんなでサンディエゴに行くからと伝言を残されても、それを聞きもしないし、折り返しの電話連絡すらしません。

3人の妹がブルックのアパートに押しかけ、母親の遺骨を海葬するのですが、なんとも気持ちが落ち着かない。それは1年前に分かれた彼女ケルズ(タニア・ベラフイールド)が、ちゃらいコンピューター音楽家と恋仲になったからでもない。ブルックの心をかき乱していたのは、東日本大震災での津波映像であり、そのとき宮城県南三陸町(現)の役場で防災放送を担当し、津波が押し寄せる中最後まで避難を呼びかけ、庁舎の屋上に逃げたのですが津波にさらわれた遠藤美希さんの事実が、大きな衝撃だったのでした。

僕は遠藤さんの行為についてとやかく言うつもりはありません。ただ、ブルックの心に大きな衝撃を与えたらしいことが、この映画を見ていて伝わったのです。ブルックには日本人のガールフレンドがいたらしいし、グルーピーらしいアジア人を“日本人だよ”と紹介されています。しかし、そんな瑣末な物語が胸を打つのではありません。

言うなれば、素直ではない男の素直になれない至らなさに、自分自身が分かっていながら改めることができない、そんなしょーもない男のドラマです。僕が嫌いな手持ちカメラで、まるでドキュメンタリーのように密着して展開します。ブルックは、訪ねてきた父親と口をきこうともしない。しかし3人の妹たちと会話すると、なんとか心がほぐれるのでした。

こうした“わがままなミュージシャン”の内面を綴るだけの映画ですが、とにかく東日本大震災の津波映像が登場しただけで、そして遠藤美希さんの具体名が流れたために、職務を全うしたせいで自分の命を落とした遠藤さんと、ブルックの至らない気持ちとが対照されるのでした。もちろん遠藤さんの行為を“英雄”視する気はありません。遠藤さん本人だって、まさか津波の威力がこれほどとは思わなかったというだけかもしれない。それをとやかく言う筋合いはないのですが、ブルック自身が自分の優柔不断さと遠藤さんの行為とを重ねてしまうのでした。

つまりこの映画自身が、たまたま優柔不断なだけのミュージシャンを描き、彼が思い詰めていることなんか、命と比べるとどうということはない些細なことなのだと理解するまで、少し時間がかかった、それだけの話です。ただ僕は思うのです。サンディエゴにも、津波の余波が届いていただろうと。そして日本人と親しかったブルックは、遠藤さんのことを他人事には思えなかったに違いないと。

東京で震度5強を体験した僕は、結局大した被害はありませんでした。現在マンションの大規模修繕工事をしていて、予想以上に外壁タイルが被害を受けていたことが分かりましたが、その程度で済んでよかったとも思う。ある意味、この映画が東日本大震災の津波映像を映画の中に持ち込んだことは、映画作りとして“ルール違反だ”と言ってもいい気すらします。

しかし、震災から1年経たない時期にサンダンス映画祭で上映されたこの作品を、僕は今ごろ見たわけですが、やはりそのまま捨ておくわけにはいきません。監督が「ショート・ターム」のデスティン・ダニエル・クレットン で、彼の「黒い司法 0%からの奇跡」を見た直後だということもあります。なにしろ“ルール違反”であろうがなかろうが、もう思い出さない日さえあるあの大震災の体験を、こうやって風化させなかった部分は評価したい。←風化させようとするのは、誰あろう僕自身なんですけどね。

僕はこの映画をいい映画だとは言いませんし、ぜひ見てほしいとも言いません。imdbの得点が6.6だと言われたら、そんなものだろうと思う。しかし1400人以上の投票者の17%が満点を投じている事実も、なかなかの事実だなと感じます。僕は畏れ多くて得点を書き込めませんが。

たかが映画ですが、されど映画。観客の人生に確実に跡を残す映画というものはあるものだと再確認しました。それが万人に通じるはずはありませんが、さまざまな形で心に残るということはありうる。いや、そんな現実との奇妙な関わり合いが、フィクションとしてのドラマの、ある意味“妙味”だとも思う。そして、そう思わない人には、単に“縁のない映画”だということです。映画というものは、それほど多彩に存在する、ということでしょう。
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