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2020年08月03日13:00

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「沖縄 出口なき戦場」を観た人、いますか?

 記憶が薄れないうちにメモ。
 昨夜の9時、NHKスペシャル「沖縄 出口なき戦場」を見た。沖縄戦について、これまで何十冊もの本を読んでいるので、格段、驚くような新事実はなかった(本来、真の「日本人」なら誰でも学んでおくべき歴史だ)。そして自身、戦争体験もなければ沖縄戦で命を失った姻戚関係の人もいないので、しょせんは他人事なのだが、こういう丹念な資料分析を積み重ねて構成するドキュメンタリー番組を制作したNHK職員とその関係者(下請け)、沖縄戦を含む戦争犯罪研究者(ちらっとだが林博史さんが出ていた)たちのご努力に、ただただ敬意を覚える。「このたび私どもは米軍が残した5千枚もの資料を発掘し、沖縄戦の全容をより掴むことができました」などと冒頭でナレーションがあったのだが、資料を斜め読みするだけで、下読みが何人いたのかわからないが、3人くらいだと1カ月以上かかる。いまちょうど似たような作業を私はやっているところなので、想像するだに胃が痛くなる。
 米軍の沖縄本島上陸は、覚えやすい4月1日(1945年)。大本営があった首里城が陥落したのは、この番組によると5月26日だったと語られていた。
 沖縄戦の悲劇は、首里城陥落からスタートする、と言っても過言ではない。
 アメリカ軍の巨大な軍備と兵を相手に、沖縄では敗北を認めて次なる攻勢に出るか、沖縄を「本土防衛の捨て石」として極端に言うと兵士も民間人も全員死ぬまで戦うかのどちらかだ。
 番組では3人の「高級将校」が議論をし、抗戦派であった八原博通大佐の「首里から南下しつつ、ゲリラ戦に持ち込んで、米軍と戦いを続けるべし」という論が通った、と。
 米軍は沖縄本島の大地図に縦横180メートル(地図上では4ミリ四方くらい)のグリッド(方眼)を書き込んで、どこにどれだけ日本兵が南進していて、どこに兵舎を建てて集まっているのか、といったことを空軍の調査で日々更新していた。だから、的確に爆弾を落とし、機銃掃射で兵士・民間人を問わず撃ち殺した。気の毒なのは沖縄の民間人で、この人たちは否応なく、軍人と共に行動することを強いられた(他の本を読むと、最初から日本軍は負けると予想して、南ではなく北や東方向に逃げた沖縄人たちもいたようだ。そうだよね、普通に考えればわかること)。
 とにかく民間人を道連れとし、出来ればゲリラ戦(手榴弾を持たせて敵の陣地で自爆する)も手伝ってもらいたい。
 で、米軍の絨毯攻撃で死ぬわ死ぬわの日々がそれから1カ月続く。「下級兵士」と民間人併せて、首里城陥落以降での死者数は陥落前の〇倍だと言っていた。この〇の数字、一夜にして忘れた。
 番組で頭が狂いそうなほどに立腹する場面が数カ所あったのだが、それは高級将校・八原のインタビューテープが遺っていて、彼が「まあ戦争でありますからいろんなことがありました。詳細についてはお話しできませんねぇ(笑)」というようなことを言っていて、終始、笑いながら話していたのである。
 あらま、「生きて辱(はずかしめ)を受けず」と部下にも民間人にも命令し、この大和魂によって沖縄ではたくさんの集団自決さえあったのに、言った本人はちゃっかり生きていて、微笑みが浮かびそうな穏やかさでインタビューに答えてるやんけ。なにがお話しできませんねぇ、だよ。番組では、ガマ(洞窟)での密と飢えで、米軍の投降呼びかけに応じてガマから出て行こうとした住民が日本軍兵士に撃たれた、というようなエピソードも紹介されていたのだが、そのガマにいた沖縄の女性が「敵はアメリカじゃなくて友軍だった、がっかり」という証言が放映されていた。こういうのもあったな。黒砂糖を持っていた民間人に軍人が「砂糖を寄こせ!」と命令し、「この砂糖は一家を支える食べ物だからいやです」と答えたらなんと軍人はその人に発砲し(死んだ)て砂糖を強奪した、と。
 これは古しきニッポンの伝統で、フィリピンでの戦闘(とも言えないくらいの戦いで、実際はただの敗走でしかないのだが)ではたかだか一夜の芋を食うためだけに農家一軒を焼き払うみたいな行為を「八紘一宇、アジアの解放」と一億人が信じていたんだものなあ。もちろん、文化や経済が劣っている原住民など殺してなんの問題もない、と。これはこんにち、さすがに無差別に「土着民」を殺すようなことはしないものの、日本は世界でいちばん偉いから何をやっても許されるという信者が多数いることによっても、ニッポンの伝統芸と言えるのである。
 私、明治にアイヌ人や琉球人として生まれなくてよかった、昭和30年という時代に「日本人に生まれてよかった」(笑)。
 今年はとりわけ戦争にまつわるNHKのドキュメンタリーが少ないように思う。昨日、番組が終わった直後に、8月6日の夜、原爆特集を放映します、という予告があった。
 コロナの影響もあるだろうし、そもそも膨大な取材と資料収集でしか成立しないドキュメンタリーはただの金食い虫でしかないから、民放ではよほど傑出したディレクターでもいない限り番組は作れない。
 昨日、テレビ取材に応じていた4人か5人の沖縄人は、若くて80歳代後半、98歳というお爺さまもいらっしゃった。
 アベとかネトウヨ系文化人とかネトウヨ国民は、あと5年、耐えろ。体験者は一人残らず死んで、新証言は出てこない。そうなれば、こんにちまで残された証言はサヨクの陰謀とでも言って、蔑んだらいいだけだ。もし小さじ半分くらいの知性が残っている人であれば「確かに戦争は理不尽であったが、過去は過去として未来志向で行こうよ」と答えるのが常識というものであろう。
 
 深夜23時、YouTubeのオススメに辻井伸行さんがウィーン郊外ピッテン村の教会を訪ねる、という番組(のコピー?)があがっていたので、見た。
 辻井さんが作曲した「風の家」を村人(?)たちが演奏、唱和(といっても歌詞がないのでラララと歌っているだけ)している動画。いちばん前に座って演奏を聴いている辻井さんは終始、うつむいていた。
https://www.youtube.com/watch?v=5XQTPOXSUH4
 辻井さんの心情を推し測ることによって私は感動した。
 涙腺が弱くなっているので、両目から涙が落ちてしまった。
 続いてYouTubeが自動的に辻井さんのラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番を流した。これも見た。
 救われた気分になって眠ることができた。
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