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2020年07月07日02:46

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男の世界

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エンニオ・モリコーネが亡くなった。最も人口に膾炙したモリコーネの曲というと、『ニュー・シネマ・パラダイス』あたりになるのだろうけど、僕としてはやはりレオーネと組んだ映画のサントラにとどめをさす。ことにマカロニ・ウェスタンのサントラは、ビートルズと並んで僕の人生の決定的なBGMになっていると言っていい。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の「デボラのテーマ」とか「アマポーラ」みたいなロマンチックこの上ない絶美のメロディも勿論捨てがたいのだけど、『続・夕陽のガンマン』の「The Good, The Bad And The Ugly 」や『夕陽のギャングたち』の「Duck You Sucker」みたいな、男臭いカッコよさと洒脱なユーモアが絶妙にブレンドされたダンディズムこそ、モリコーネの真骨頂であり、「男のあるべき理想の姿」を音楽によって表現した最高のもののように感じられ、人生を狂わされることになってしまった次第であります。

『続・夕陽のガンマン』は、古今東西最も好きな映画なのだけど、この映画の何が凄いって、180分に及ぶ長尺映画でありながら、ほぼ女っ気ゼロ、むさ苦しい男たちだけが画面に映り続け、しかもえも言われぬ濃厚なエロスが漂い続けていること。こんな映画は、それこそ他にはヴィスコンティの『ベニスに死す』くらいしかないのではないだろうか。しかし、『ベニスに死す』の方はビョルン・アンドレセンという空前絶後の美少年が「たおやめ」的な要素を持ちこんでいるけど、『続・夕陽のガンマン』にはそれもない。紅一点など薬にもしたくない、純度100パーセントの男たちの世界が展開されている。こんな映画が作られ、しかも世界的にヒットしてしまうというのは、現代では考えられないだろう。

そんな純度100パーセントのホモソーシャルな男たちの世界を、ドラマチックかつユーモラスに盛り上げてくれているのがモリコーネのサントラなのだけど、ことにメインテーマのカッコよさ、疾走感、ユーモアは、すべての男が理想として追い求めるべき境地である。

男のなんたるかを描かせてレオーネの右に出る映画監督はいないけど、一方、女性を描くのはレオーネは恐ろしく下手だった。『ウェスタン』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で一生懸命女性も描いているけど、そんなに成功しているとは思えない。女性を描くのが下手という意味で、レオーネは長谷川和彦に似ているかもしれない。しかし、女性が描けないということは、全然彼らの不名誉にはなっていない。むしろ、だからこそ彼らは女人禁制の「男性の秘密」をあそこまで見事に映像化することができたのである。

『続・夕陽のガンマン』は南北戦争期を舞台にした映画だけど、それこそ、『風と共に去りぬ』の対となる映画というか、『風と共に去りぬ』へのアンサーシネマとして『続・夕陽のガンマン』は観てもいいのではないかと思っている。『風と共に去りぬ』がアメリカの神話の永遠化を目指したものだとすれば、『続・夕陽のガンマン』はアメリカの神話の解体を目指したものというか。

『風と共に去りぬ』はいま黒人差別的といってバッシングの対象になっているけど、この映画を否定することは、おそらくアメリカ合衆国の建国神話そのものをも否定することになってしまうというアポリアを孕んでいる。南部出身のウィリアム・フォークナーは、来日した際、

「日本人は私の小説をよく理解してくれるはずだ。なぜなら、第二次大戦で日本人は、南北戦争でヤンキーども(北部人)が南部に対してやったのと同じことをやられたのだから」

と語ったそうである。サザンクロスやリー将軍の銅像を否定すれば、ことは簡単に済む訳ではないことを、フォークナーの言葉は端的に伝えているように思う。

南北戦争というアメリカにおいて「近代とは何か」が問われた戦争をモチーフにして、しかしレオーネは『続・夕陽のガンマン』で、「北部の正義」や「南部の大義」など超越した次元でひたすら個人の欲望に忠実に生きる「The Good, The Bad And The Ugly 」の3人を描いているわけである。こんな連中の存在は『風と共に去りぬ』では考えられないが、レット・バトラーが一儲けする際につるんでいた山師たちの中には、あるいは『続・夕陽のガンマン』の3人みたいな連中もいたかもしれない。たとえば、幕末や大東亜戦争期を舞台にして、「国の命運」などそっちのけで、いかに自分がお宝にありつけるかだけを行動原理にした主人公を描いた作品が、日本で成立するだろうか。NHK大河でそんな幕末物を作っても面白いと思うけど、無理だろうなあ。それこそ、イタリア人なら作れるかもしれない。

モリコーネ追悼から大分話が脱線してしまったけど、今回の写真になぜオアシスのファースト・アルバムが写っているかというと、小さくてわかりづらいけど、このジャケットでトニー・マッキャロルが観ているテレビに映っているのが、『続・夕陽のガンマン』で「汚い奴」が瀕死のビル・カーソンと出会うシーンなのである。単にメンバーの好きな映画を深い考えなく引用しただけかもしれないけど、そこをあえて深読みすると、このファーストアルバムは、まさにオアシスのメンバーたちが「墓場に隠された埋蔵金の秘密」を知った瞬間を記録したものだという寓意を、そこに読み取ることができるかもしれない。

映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネさん死去 『夕陽のガンマン』『ニュー・シネマ・パラダイス』など
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6147580
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