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2020年04月19日21:44

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玄米食に替えて5日目

 白米から玄米に替えて、今夜で5日。体調に関しての変化としては便通がよくなった。これは替える前からなんとなくそうなるのでは、と想像していた。健康オタクではないものの、サプリメントは30年来ビタミンCとBコンプレックス、鉄剤を規定の半量飲んできた。ひとりよがりな印象であるが、なんとなく心身の老化にカウンターとなってくれる栄養素が摂れているような気がする。というのは、精神的な明るさが仄かに現れてきたからだ。元来なにをするのも億劫(しかし決して口に出すことはない)、というのが自分の決定的な「欠陥」である。玄米を美味しくいただく自分の可塑性を認識できた、というプラシーボ効果が、このような精神的な安堵に繋がったのだろう。だから玄米の栄養素とは関連性がない。玄米を食べて神経症が改善した、なんてエビデンスなどそもそもないはずだ。
 今日は8時ちょっと前に起床。その時点で暖かだった。ナポリタンのパスタを食べたあと浴室に行って風呂の残り湯に手を浸けたらぬるま湯だったので、ラズリを洗うことにした。20キロ超の犬を抱えて2階の浴室へ行き、服を脱いでからラズリを浴槽に浸す。全身を手のひらでシャンプーして、浴槽から持ち上げて洗い場に置き、ざっと温水シャワーで流して終了。たいへんなのはそのあとで、浴槽はもちろん、床や壁などをバスマジックリンを付けたスポンジで洗うのも結構重労働だ。
 全部を終えて階下に降りようとして、腰の異変に気づいた。生まれて初めて、腰痛を覚えた。これ、ひょっとしたらぎっくり腰なのか? 立っている限りは痛くない。が、左足を前に踏み出すたびに痛みがある。
 鎮痛効果のある湿布薬を痛い箇所に貼った。歩くと痛い。が、痛みを少なくする歩き方がある。
 2時間ほど、楽な姿勢で本を読んだ。で、ラズリの散歩タイムだ。行けるかな、と思ったが、あまりにつらければ途中で止めたらいいと考え、ラズリを連れて家を出た。
 のろのろとした足取りで駅近くまで行った。スーパーで菓子パンを買いたくなり、ジーンズのポケットには5百円玉1個と百円玉1個があったので、メロンパンとアップルデニッシュを買い、ダウンジャケットの両ポケットにそれぞれを収めた。
 スーパーとほぼ隣接するビルの4階に、安倍バッカー夫人が心酔する松久正が経営する怪しげな「鎌倉ドクタードルフィン診療所」がある。3月中旬、大分県の「宇佐神宮」に50人の団体で行った時の主催者が松久なる怪しげな男だ。
https://bunshun.jp/articles/-/37237?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink
 以前は、ビルの前に確か立て看板があったはずなんだがなぁ。

<ドクタードルフィンの超次元・超時空間松果体覚醒医学(新地球医学)では、薬や手術というものを一切使いません。患者自身で問題(人生も身体も)を修復する能力を最大限に発揮させます。 人間が自分自身で良くなる力、回復して人生と身体を良い方向に向ける力は、本来自分の中に内在されているもので、誰でもすでに持っているのです。 人間が身体や人生に問題を持つ理由は、 問題を持つことで気づきや学びを得て、 自分の魂意識を修正して、振動数を上げるため、 進化・成長させるためです。>
<診療所では、対面診療(神経WAVE/細胞TONEコレクション・松果体DNAリニューアル)を実施。身体の問題の改善を主体とし、それを達成するために人生と感情を修正し、その人が望む人生、望む身体に向かわせます。>(ドクタードルフィンのHPより)

 初診は約30分で4万5千円、再診は所要時間3~4分間 (DNAリニューアル操作のみ)で1万円とのこと。私のような者には玄米食くらいしか叶わない。
 どうかぎっくり腰でありませぬように、とびくびくしながら家路を辿り、なんとか呻くことなく帰宅。
 珈琲を淹れて、20年ぶりにピンク・フロイドのCD『対(The Division Bell)』を聴いた。演奏時間が70分なので古書籍店の店主がものしたエッセイ集『昔日の客』を読むことにした。読み残しが80ページなので、CDが終わる頃に読了できるはずだ。久方ぶりにいわゆるプログレ、それも最もプログレらしいプログレを聴く、というのも少し気持が安定している証拠かもしれない。
 著者の関口さんはとっくの昔にお亡くなりになられたが、読んでいる間も読後も、ちゃんとした古本屋に行きたい、という気持が募る。たいていの古本屋というのはまるで地層のように文化の堆積が表れるものだ。
 夕方、テレビでニュースを見た。
 ニューヨーク在住の日本人医師が新型コロナウイルスに感染し、死の恐怖を抱きながら無事回復した、というドキュメンタリーなニュースを真剣に受け止める。
 川越宗一の『熱源』を読み出したのは今年1月12日か13日で、直木賞の選考日はちょうど物語の半ばまで読み進んでいた最中だった。『熱源』の主人公が愛した妻は結婚してからわずか5〜6年後、疫病で亡くなる。その疫病は明治時代に流行ったコレラだったのだが、その頃は新型コロナウイルスのニュースもなくてただの「歴史物語」だと受け取り、主人公の哀しみと不運さを忖度しただけだった。しかし、もし今読んだら、こちらの感性も違っていただろう。
 あらゆる災害のあと、私たちは謙虚になる。そして強くなる。『熱源』にしても昨年同時期の『宝島』にしても、そんな物語だった。偶然だろうが、すぐれた文学は往々にして時代とのシンクロニシティがあるものだ。
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