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2020年03月21日09:02

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“リアリティー”のない“絶望”なんか、金をもらっても見たくない。片山慎三監督「岬の兄妹」(2018)。

昨年、この映画が公開されたとき話題となりました。とはいえ、わざわざお金を出してみるほどではあるまいと思い、今回キネカ大森という映画館で「メランコリック」と2本立て上映されることから、“今なら映画館は空いているから気楽に見られるだろう”と出かけました。するとあにはからんや、63席なのに3割程度の入り。このご時世なら、“よう入っとる”といえるのではないでしょうか。

物語は、知的障害を抱えているらしい妹まりこ(和田光沙)と2人暮らししている兄よしお(松浦祐也)が主人公。家に閉じ込めておいたはずの妹が家にいないため、兄はあちこち探しまくります。ようやく妹を発見した兄は、今度は鎖で家につなぐ。しかし、足の不自由な兄はリストラに遭い、収入源が断ち切られます。

そんな絶望的な展開が90分繰り広げられます。僕が我慢できなかったのは、絶望的な経済状況を描くあまり、兄と妹の心の通い合いがおろそかになってしまったこと。肉親の情愛なんてそんなもんさ、とクールを装う方は、申し訳ないけどちょっとあっちへ行っててください。僕はたしかに甘い生き方をしてきたけれど、そんな甘ちゃんの頭をガツンと一発やりたいのなら、もう少し兄と妹の情感をみっちり描きなさい。そしたら僕には“衝撃の一作”となったはずです。

つまり、妹が妊娠したと判明したとき、兄が妹のなじみ客に“結婚してやってくれ”と迫ります。すると相手の男性が“僕だったら結婚するとでも思ったんですか?”と逆襲する。この場面が見事なだけに、もっと兄と妹の関係が良ければ、僕は大絶賛したと思うわけです。しかし残念ながら、ぎすぎすした関係をぎすぎすと描いただけ。それじゃあ“絶望”は他人事になってしまうのです。

たとえばシドニー・ポラックの「ひとりぼっちの青春」は、僕の生涯のベストワンですが、あの作品には“廃馬”を撃たざるを得ない切実さがあふれ出ていました。何週間かバス代を節約して買った絹の靴下が、もろくも破れてしまう現実は、僕の人生を変えたと言ってもいい。あるいはアンジェイ・ワイダの「地下水道」の絶望は、ソ連とナチスの合意という事実を知るに至って、とてつもない絶望へと発展しました。

というような作品を、僕は期待します。「ホテル・ルワンダ」の監督テリー・ジョージが、あまりにも凄惨すぎる現実を前にして表現をマイルドにするしかなかったと語ったように、あるいは強制収容所の現実を前にして、スタッフをできるだけ使わず自ら撮影したジョージ・スティーブンスのように、観客に対する配慮というものが“作品”を成立させると僕は考えます。

もっと言えば、熱演だと褒められた和田光沙さんにしても、あの裸姿では僕でも“チェンジ”をお願いしたくなる。もう少し、リアリティーというものを“映画”というフィクションに則して考えてもらわないと困るのです。これを続けている限り、日本映画は世界から大きく取り残されます。世界の映画というものは、ディズニー的商業主義映画ではないのですから。
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