◎連続のヨーガ
「第四に、連続したヨーガに関して。道を正しく適用する実践者は、普通の有害な感情を決して許すべきではない。 彼は、起こる感情をすべて特別なテクニックで確認すべきである。
有害な感情の根は、五毒である。ここに、それらを道として使う方法がある。
強い愛著が突然起こるとき、心に留めることによって、それを認識し、その原因を熟考しなさい。それは外的要因によって起こり、それはたとえば魅力的な異性と接触したいというような衝動であり、心は動揺している。
その愛著の痛みは、水の乱暴なほとばしりに似ている。結局あなたの心は、あなたが慣れ育ってきたパターンになら、何にでも完全に消散するだろう。
そのパターンを認識するには、外部の魅惑的な要素は心によって作られるのだということを理解しなさい。もしそうでなければ、あなたの愛する友が他の人々によっては敵と見なされるということは不可能であろう。接触したいというあなたの衝動は、愛著としてあなたの心と現われから起こる。まさしく人影のない空から起こる風のように。
愛著の本質を調べて、道としてそれをどう使うかという教えがここにある。
魅力的な外部の要素と接触したいという衝動を、二元性のない状態で休息させなさい。その結果、愛著は非二元の至福と空の本質になる。空の生まれながらの本質は、歓喜として起こる現われから離れた何ものからも作られない。これは愛著の完全性であり、純粋な識別智である。
同様に、怒りの本質を調べて、そこで休息することによって、あなたは光と空の非二元性を悟る。生まれながらの本質は空であり、そしてその現われは光である。それは怒りの完全性であり、鏡のような智慧である。
迷妄の本質を調べて、その状態で休息することによって、あなたは非概念的な覚醒を悟る。生まれながらの本質は空であり、そして現われは無思考である。迷妄のこの完全性は、ダルマダートゥの智慧である。
同様に、プライドと嫉妬を道にもたらすことによって、それらは平等の智慧と、すべてを達成する智慧になる。
要するに、十悪は五つの毒から生じ、五つの毒は三毒からやって来る。これらの三毒を認め、それらを道として利用することによって、あなたは三蔵の教えを実践し、三つの修行の中にとどまることになるだろう。
愛著の本質を調べて、その状態で休息することによって、 あなたは歓喜を経験し、それはヴィナヤ(律蔵)になる。あなたは普通の愛著に背を向けるが、それは戒の修行である。
怒りの本質を調べて、その状態で休息することによって、あなたは光を経験する。そしてそれはスートラ(経蔵)になる。あなたは普通の怒りに背を向けるが、それはサマーディの修行である。
迷妄の本質を調べて、その状態で休息することによって、あなたは無思考を経験する。そしてそれはアビダルマ(論蔵)になる。あなたは普通の迷妄に背を向けるが、それは智慧の修行である。
あなたは、生起するすべての有害な感情を認めて、それらをこのように道に持って来るべきである。」
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