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2019年08月17日12:08

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本棚183『人類の星の時間』ツヴァイク(みすず書房)

 「グルシーは一瞬間だけ考えた。そしてこの一瞬間が彼自身の運命と、ナポレオンの運命とそして世界の運命とに形をとらせることになった。ヴァルハイムの農家の中のこの一秒間が十九世紀全部について決定した。」

 滔々と流れる時という大河の中で、世界の歴史を変えた劇的な一瞬。それをツヴァイクは、「人類の星の時間」と呼ぶ。

 彼が取り上げるのは、栄光を得た者よりも、敗れ去った者が多い。冒頭のナポレオンの最後の戦いをはじめ、人々を狂わすゴールド·ラッシュにより全てを失った地主ズーター、オスマン帝国に滅ぼされたビザンチンの都の断末魔、南極探検でアムンゼンに先を越された挙げ句遭難死したスコットなど「敗者」が並んでいる。時に微かな希望が描かれる場面もあるが、結局はその運命から逃れることはできず、一層敗北の影を濃くしている。
 しかし、そこには暗さはなく、最期の敗北の時が訪れるまで、運命に果敢に立ち向かい、その生を駆け抜けた人間の力強さが感じられた。

 とりわけ、病で再起不能と思われた作曲家ヘンデルの復活が心に残った。夜の静寂の中、自身のうちに光が流れるように作曲に没頭するヘンデルの姿は、ミューズが降りてくる瞬間がどのようなものかを垣間見せてくれる。「涙の流れるままに」や「懐かしい木陰」など数多の名曲を作り出したヘンデルがより身近に感じられた。

 本書を読み終え、濃密な時間の流れを泳ぎきったような感覚にとらわれていた時、頭に思い浮かんだのは、鷺沢萠の次の言葉だった。

「どんな人にも光を放つ一瞬がある。その一瞬のためだけに、そのあとの長い長い時間をただただ過ごしていくこともできるような。」(『海の鳥・空の魚』)
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