さくら☆さんからの情報で山田五郎氏の講演会を申し込んだのは2月。この時のチラシは「パナソニック汐留ミュージアム」だったが、新しいチラシは「パナソニック汐留美術館」になっていた。
電話申し込みで先着250名という古い(失礼)方法で、あいにく受付開始日時に用事がありすぐに電話できなかったのだが、なんとか滑り込めた。整理番号100番ごと10分おきに受付入場できるのだが早くても遅くても、会場がは広いのでどうということはない。
アートトークは14時から15時の予定だったが、30分も超過。昨年のジョルジュ・ブラックの講演会の時もそうだったが、話したいことが多過ぎて、かなり早口でまくし立て、博識ならではの多種多様の(場合によってはマニアックな事の)引用がなされる。今回のテーマは「ファム・ファタル(宿命の女)」だから尚更だったろう。サロメに代表される美しき悪女、官能の誘惑に負ける男、その根源はマザコンか、、、となれば、五郎さんが好きそうだ(笑)
五郎さんの譬えは上手い。さすがテレビ向き。
ギュスターヴ・モローを「元祖ニート画家」「子供部屋オジサン」、19世紀の岡崎体育かみうらじゅんか、という(笑)裕福な家庭に生まれ、オカン大好きで生涯自宅暮らし。ショックなことがあるとしばらく(数年か)「引き篭もって」しまうタイプ。絵を売って生計を立てなくてもよく、故に描いた絵を飾って自宅を美術館にしてしまった。友人はこのモロー美術館が大好きで、パリに行くたびもう何度も行っているという。写真で見たがすごく素敵な美術館。うう、私も行ってみたい…
オカンは教養もあり、厳格な素晴らしい女性で、生涯モローの身の回りの世話と財産管理をしていたという。でも、モローにはちゃんと恋人もいて(結婚はしなかったが)、その人もまた素晴らしい人格の女性だったようだ。こんなラブラブな絵まで描いている。藤田嗣治の絵手紙に匹敵するかわゆさ!
《雲の上を歩く翼のあるアレクサンドリー・デュルーとギュスターヴ・モロー》
どうやら、ユトリロやモディリアーニのような破滅的マザコンとは全く違うようだ。人格者で善良、温厚な女性(母と恋人)を愛し、愛されたモローであるのに、描く女性は男を誘惑して破滅に導く魔性の女、好んだテーマはエロスとタナトス(性と死)だから面白い。
アレクサンドリーが亡くなった時はショックでいつも通り引き篭ったがこんな追悼作品を残している。
《パルクと死の天使》
フォーヴィスムのような粗い筆致。悲しみが伝わって来る。
ところが、母ポーリーヌがなくなった時は描いていない。反対に、描きかけていた《キメイダ》という、宿命の女ワンダーランドのような作品を中断している。しかも母の死をきっかけに「宿命の女」が激減し、貞淑な乙女を描くようになったのだ。
《一角獣》
一角獣は汚れなき乙女にしか懐かないという。夢のような装飾の、少女漫画のように美しい絵だ。
五郎さんは、この母と息子の関係は異常だとみる。普通のマザコン以上にオカンが好きすぎて、しかも怖い、そんな女への恐怖が無意識の抑圧となってそれまでにない形の「ファム・ファタル」絵画を作り上げたのだ、と。
これまでにない形の「ファム・ファタル」と言ったが、それについて、五郎さん特有のキャッチとして、モローは「見えない絵画革命」を行なったという点。
「見えない」の一つめの意味は「新しく見えない」。
印象主義とほぼ同じ時代に生まれたフランス象徴主義だが、題材を古典に求め、描き方も古典的だというもの。ところがよくよく見るとモローの描き方は決して古くない。抽象画とも言える《サロメの油絵下絵》をみてわかる通り、モローは最初に色面を作り上げる。
それからディテールを細かく乗せていくので仕上がりが古典的に見えるだけ。先の《パルクと死の天使》やこちらの《サロメ》も確かにフォーヴィズム。
66歳にして教鞭を取ったが、マルケ、ルオー、マティスのいい先生だったそうだ。
サーッとハケで掃いたような色面に細かく文様を重ねていく方法はモロー独特かな。
《出現》の背景の建築の東洋的文様は晩年描き足したとのこと。
《刺青のサロメ》の文様装飾も美しい。
「見えない」の二つめは「見えない概念を描く」。
当時流行となった印象主義は見えるものをいかに描くかであったが、対照的なのが象徴主義であり、それが後の表現主義、抽象絵画、シュルレアリスムに発展していく。モローが象徴主義画家として確立したという作品が《オディプスとスフィンクス》
(展示は習作)
象徴主義は、抽象的観念を具体的に描き出すことだから、神話をただ忠実に描いた古典主義とは全く違うものが生まれる。モローのスフィンクスは美しい女性なのだ。
《エウロペ》は牛に化した強姦魔ゼウスがエウロペをさらって行った地方がヨーロッパになったという神話だが、モローのエウロペはむしろゼウスを誘惑しているよう。悪女だ。
そして悪女の中でも最たるものがサロメ。元は母親にそそのかされて無自覚にヨハネの首を所望しただけなのに、モローのサロメは自覚した「快楽殺人」になっている。斬首される直前《上・斬首される聖ヨハネ》、瞬間《中・サロメ》、直後《下・斬首される聖ヨハネ》
光が美しい
後ろに刀を振り上げている執行人とヨハネが。
手前に首のないヨハネの死体。奥のサロメが持っているのはヨハネの首か?
様々な描き方でサロメの心のうちを描いているようだ。ゾクゾクする。
そして《出現》
首となった聖ヨハネと真っ向から対峙するサロメ、他のものにはヨハネの首が見えていない。なんと幻想的な絵。
ちなみに、五郎さんの話では、サロメを最初に悪女に描いたのはクラーナハ。モローのサロメに着想を得て、首所望の動機付けに叶わぬ恋を絡めたのがオスカー・ワイルド、ビアズリーの官能的な絵、それを芝居にしたのが島村抱月と松井須磨子で、現実に事件を起こしたのが阿部定、ストーカー殺人のハシリとのこと。
こんな調子に加えて、なぜ19世紀に宿命の女ブームが起こったのかを、マックス・ウエーバーを引用して資本主義論を語るものだから講演は1時間で終わるわけはないですね(笑)
私はこの後に展覧会場へ。
文中で紹介しなかった作品のうち印象に残ったものはこちら
《セイレーン》
一番怖かった絵がこれ。美しいセイレーンの下半身はヌメッとした魚(蛇みたいだけれど)で、巻きつかれて青白く横たわっているのは詩人オルフェウスか?美しい歌声で船を転覆させた後の静かな朝焼けの海かしら、不気味!
《妖精とグリフォン》
頭と翼は鷲、身体は獅子のグリフォンは妖精を守っている。水彩のこの絵は青が美しかった。
同じ題で油彩は、妖精の姿が白抜きの石膏像のようでシュールレアリスム絵画のようだった。
70点弱なので点数は少なく、習作も多いが、《出現》《一角獣》など大作をじっくりみられて満足。
6月23日まで
https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826‐1898)は、神話や聖書をテーマにした作品で知られています。産業の発展とともに、現実主義的、物質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。本展は、そのようなモローが描いた女性像に焦点をあてた展覧会です。出品作品は、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する、洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描など約70点によって構成されます。神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性、そしてモローが実生活において愛した母や恋人。展覧会では、彼女たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫ります。
第1章 モローが愛した女たち
第2章 《出現》とサロメ
第3章 宿命の女たち
第4章 《一角獣》と純潔の乙女
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