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2019年04月25日00:26

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ジョイスとスプリングスティーン・意識の流れ・植民地におけるナショナリズム

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今更ながらジョイスの『若い芸術家の肖像』を読んだ。正直、その実験的要素(そもそも英語で読まなければ意味がないのかもしれないけど)はすでに古びて驚きを覚える次元のものではなかったが、全体を通しての印象を悪くなかった。

プロットを要約すると、郷土愛にも信仰心にも安住できない感じやすい魂の持主である若者が、ダイダロスの翼(芸術)の力によって孤独と引き換えにしても故郷からの脱出を決意するまでを描いた青春小説――となるけど、特にラストには、なんとなくスプリングスティーンの「サンダーロード」の

「ここは敗北者で埋まった街/今日勝利を求めて僕はこの街を出る」

というフレーズを思い出した。



「サンダーロード」の歌詞には、モダニズムの「意識の流れ」の手法が使われているという指摘もあるけど、ジョイスこそ「意識の流れ」の完成者でもある。スプリングスティーンは父方がアイリッシュ。ジョイスのアイルランドへの愛憎は、「ボーン・イン・ザUSA」で吐露されたスプリングスティーンのアメリカへの愛憎ともオーヴァーラップする。

『ダブリン市民』に収録されている「エヴリン」なんかも、「サンダーロード」を小説の形に書き直せば、そのままこの短編になるような情感――故郷からの脱出がもたらす高揚と不安――に溢れている。

スプリングスティーンは2007年に『ライヴ・イン・ダブリン』をリリースしているが、これは父祖の地への「帰郷」を意味するものでもあったのかもしれない。アイリッシュ・ハートビートは、こうした形でジョイスからスプリングスティーンへと受け継がれている。

面白いのは、ジョイスにしてもスプリングスティーンにしても、その祖国への感情は、単純な愛慕でも単純な拒絶でもなく、「愛憎」あるいは三島由紀夫の好んだ言葉を借りれば「憎悪愛(ハースリーベ)」とでも表現するのが相応しい、複雑なパトスとして描かれていること。アイルランドのナショナリズムは英国の支配への抵抗と挫折として発展してきた歴史があり、まさにジョイスの作品はその屈折をビビッドにドキュメントしている。スプリングスティーンもまた、父方はアイリッシュ、母方はイタリアンという、アメリカにおけるマイノリティを出自としつつ、イギリスから独立した「祖国」アメリカへの複雑な思いを歌い続けてきた。

植民地におけるナショナリズムはいかなる形態を取るか――アイルランドとアメリカの歴史は近代におけるその興味深いサンプルであり、ジョイスからスプリングスティーンへと継承されている「ダイダロスの翼」は、そうした(旧)植民地型ナショナリズムからの脱出を象徴するものであって、大東亜戦敗北後、実質米国の半植民地となっている戦後日本におけるナショナリズムを考える際のヒントも、彼らの歌の中に聴きとることができるかもしれない。
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