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2019年03月03日19:20

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歌川国芳

「血みどろ絵」の《英名二十八衆句(にじゅうはっしゅく)》が一堂に。
圧巻。

国芳から芳年へ
@名古屋市博物館

どちらかというと身近すぎてお宝感の低い浮世絵で
春信でも北斎でも広重でも写楽でも歌麿でもない。

そんな国芳と弟子の芳年をタイトルに掲げた展覧会です。

わざわざ名古屋まで行ったのは美術ライター・佐藤晃子さんのレクチャーがあったから。

これを機会にスルーしてしまい勝ちな武者絵のみかたがわかれば…
という目論み。
結果、自分の勉強不足が露呈しました。

楽しめないのはキーワードを理解していなかったからだったようです。

「酒呑童子」
これはわかる。大江山で源頼光らに討伐された鬼。
「地雷也」
これもわかる。ガマ蛙の妖術を使って活躍する義賊ですね。
「滝夜叉姫(たきやしゃひめ)」
平尾苅将門の娘。有名な《相馬の古内裏》では巨大な骸骨を出現させている。

ぼんやりとした知識しかなかったのはここから。

「玉取姫」
唐の皇帝の后となった藤原鎌足の娘。
国芳の《龍宮玉取姫之図》は亡くなった鎌足に供えようとした宝玉を奪われ、
海女の命がけの協力で取り返す物語の一場面。
ちなみにこの絵、エドゥアール・マネがベルト・モリゾを描いた《休息》の背景に描かれています。マネも持っていたのですね!
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「文覚上人」
平安末期〜鎌倉時代の僧侶。武士だったが19歳で出家。
那智の滝で修行中に落命するが不動明王に助けられる。
《大願成就有ヶ瀧縞》では
画面左上の小窓では文覚上人が滝にうたれており
女のきものの縞模様と滝がパラレルに
女の持つほおずきの冠が上人の数珠とパラレルになっている。
ちなみに国芳の描く美人はたおやめではありません。
きっぷのいい姐さんっていう感じですね。

「吉原すずめ」
《里すゞめねぐらの仮宿》では客も遊女も雀の吉原群像が描かれています。
天保の改革で役者絵・遊女芸者風俗の錦絵が禁止されたゆえの擬人化ですが、
そもそもヨシワラに通う男を「吉原雀」と称したからの題材でした。
山下裕二先生は「制約のあるところにしか表現は生まれない」という持論をお持ちだそうですが
その通りですねえ。
ちなみにお上からの出版許可印が着物の柄のように押してあるのも珍しい。
検閲官は渡辺さんという人だったとわかります。

「一ツ家」
これには2つのお話があります。共通するのは老婆の殺人。
(1)浅茅ヶ原の一ツ家。宿泊した者の上に石を落として殺し金品を奪う老婆。あるとき美少年が(実は浅草の観音)殺されそうになり、老婆の娘が身代わりになる。
(2)奥州安達ヶ原の一ツ家。息子がさらってきた娘の病を治すため胎児の生き血を求めていた老婆が実の娘と知らずに殺害。
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左が国芳の三枚組《観世音霊験》
右、芳年の《月百姿 孤家月》ではもはや観音も娘も描かれていないので
知識がなければ想像で補うこともできず解らないのです。

佐藤先生のレクチャーでは、その他浮世絵が生まれた時代背景の説明もありました。
太平の世が続き、人々に過去や未来より当世風が評価される気分か広がって。
二大悪所たる遊里や歌舞伎から最先端の風俗を表す美人画・役者絵が生まれたこと。
江戸には地方出身者が多く伝統に縛られずに好みの文化を広めたこと。
浮世絵のよさはなんといってもシャープな線。
木版はすり減るのでコンディションがよいのは初刷200枚ぐらい。
版も次第に汚れていくので色が淡く透明感がある方がクオリティが高いと言える。

そして人気絵師なら2日に一作のペースで量産していったそう。

国芳も最初こそスター絵師に隠れてなかなか売れませんでしたが
《水滸伝》がヒットするとヒットメーカーの仲間入り。刺青ブームを起こしました。
国芳自身も典型的な江戸っ子で(一人称は"わっち"だったとか)「宵越しの銭は持たねえ」。
実際に火消したちと仲がよく弟子も沢山。
《勇国芳桐対模様》をみると一門を率いる「親分」だったんだなあ、と。
トレードマークの「よしきり印」の団扇とか持っててジャニーズみたいですね、とのことでした。

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さて、冒頭に掲げた《英名二十八衆句》。
左2枚は芳年、右は芳幾。二人の作です。
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血みどろの殺害現場が28枚。(間違えて殺したとか勘違いだったというのが多い)
怖いもの見たさもありますが、血糊をテカらせる工夫があったり下から見上げると着物に柄が出現したりとクオリティも高いです。



4月7日まで。
http://www.chunichi.co.jp/event/yoshiyoshi/

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