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2019年02月20日17:00

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追悼の書としての『失われた時を求めて』

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三島由紀夫の『小説家の休暇』を再読。『失われた時を求めて』を論じてゲルマント一族の御曹司ロベール・ド・サン・ルーに注目しているくだりを見つけた。

「人間が一瞬でも他の人間になる可能性に対して、プルウストほど、綿密な冷笑を以て報いた作家はない。シャルリュスはどんなに変貌してもシャルリュスにほかならず、アルベルティヌは死を以てしてもアルベルティヌにほかならぬ。しかし、「見出された時」第二章のおわりちかく、ロベエル・ド・サン・ルウの死のくだりで、この金髪の貴公子に対する話者の哀悼のこころには、はからずも冷笑を忘れたかかる人間の変貌の可能性が語られるのである。
 エドマンド・ウィルスンは、プルウストの読後感を、レオパルジの読後感の暗鬱な気持と比較しているが、それが短い間でも破られるのは、サン・ルウの死の件りであって、幾多の批評家が、シャルリュスやアルベルティヌにばかり注目して、サン・ルウに注目しないのを、私はふしぎに思わずにはいられない。サン・ルウの見地からも、別の新しいプルウスト論が書けるのだ」(三島由紀夫「小説家の休暇」)

第一次大戦下、名門の血筋に由来する貴族的精神を発揮して戦死する金髪の貴公子ロベール・ド・サン・ルーは、最も非プルースト的でありながら、全編中最も美しい人物でもあって、サン・ルー戦死のくだりだけ、サロンに棲息する俗物の生態絵巻ようなこの長編にあって、まるでサン・テグジュペリの『人間の土地』をも思い出させる気高い精神性を湛えていて読む者の胸を打つ。三島がこの高貴な自己犠牲精神の体現者サン・ルーに注目しているのは実に「らしい」のだが、ことに三島が引用している文章は、まるで後の三島自身の運命を予言しているようにも読める。

「そうした最後の幾時間かは、サン・ルウは定めし美しかったに違いなかった。平生からも、坐っているときや、サロンを歩いているときでさえ、その三角状の頭のなかにある抑えられない意志を微笑で隠しながら、あの生々とした生命のなかに、常に突撃への躍動を秘めているように思われた彼、その彼がとうとう突撃したのだった。封建の塔は、文弱の書を一掃して、再び尚武の砦となった。そうしてこのゲルマントの貴公子は、一躍彼自身の姿に帰り、というよりむしろその一族の血統に帰り、単にゲルマントの一員でしかない人間として、死んだのだった」(プルースト『見出された時』)

プルーストは「個人は、身ぶりや声のなかに先人の特色が固定したものである非個性的な遺伝的な特徴を借りて自分の特殊性を表現するものである」と書いているが、この他にも『失われた時を求めて』では繰り返し人間の個性がいかに遺伝的・家系的なものに規定されているかが主張されている。そして平時には洗練された礼儀作法を身に付けた気前のいいプレイボーイであったサン・ルーが、第一次大戦下には先祖帰りするようにゲルマント家伝来の尚武の気風と貴族的な自己犠牲精神の体現者となって戦場に斃れるのだが、三島もまた、幕臣として戊辰戦争を戦った父方の家系である永井家の血統に「先祖帰り」するように「文弱の書を一掃して、再び尚武の砦」となるような最期を遂げることになる。

僕はプルースト論をほとんど読んだことがないが、なぜ全編俗物絵巻である『失われた時を求めて』の中にあって、サン・ルーのみ唯一気高い人物として描かれているのか――それはプルーストが第一次世界大戦をどのように受け止めていたかにも繋がっていくと思うが――これはたしかにこの長編を読む上できわめて重要なクリティカル・ポイントだと思われる。

プルーストはサン・ルーに次のように語らせているが、

「理屈で考えてはいけない、死にかけている人間がもうだめだということを直感するように、軍隊も一種の勘で勝利を直感する。ところでわれわれはやがてわれわれが勝つことを知っている、正しい平和を指示するためにわれわれは勝利を欲する。僕の正しいというのは単にわれわれにとってのみ真に正しいのではなく、フランス人にとっても正しくドイツ人にとっても正しい、という意味なのだ」

『失われた時を求めて』には、第一次大戦で戦地に斃れた独仏両国の兵士たちへの「追悼の書」という性格もあるのかもしれない。
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