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2018年12月02日21:54

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ムンク

アクセリ・ガッレン=カッレラによって描かれたムンクのかっこよさに驚き。

ムンク
〜共鳴する魂の叫び〜
@東京都美術館



今年の締めくくり。
代表作として知っている《病める子》や《叫び》《マドンナ》などは前半生のもの。

大好きな《森へ》は出ていなかったけれど
後半生や晩年の作品は初見のものも多く、興味深く見ました。
フォト



多色刷りの木版画をまとめてあるコーナーの展示方法もよかった。

目玉の《叫び》《絶望》《不安》は列に並んで
「止まらずに見る」方式でしたが
それほどのストレスもなく。

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会場を廻ったあとは講演会を聴きました。

ムンク以前・ムンク以後
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)

世紀末美術とその交流史に詳しい水沢氏、
自らの芸術を作っていったムンクを歴史全体からとらえるアプローチでした。

ピカソの《アヴィニヨンの娘たち》の前後
デュシャンの《泉》の前後では文化の様相が変わった。
ムンクもまさにそんな人であるというのです。


【ヤヌス】

ムンク(1863-1944)は時代の折り返しに青年となり画家となり戦争があり孤独な晩年を過ごした、
そのエピソードをお話しするのではありません。

"ムンクはヤヌス的である。"

ヤヌス神というのはローマの両面神で、新しい顔と古い顔、2つの顔をもっています。
英語の1月、Januaryの語源ですね。
そうした正反対のものがムンクにも同居しているということです。

【世紀末】

世紀末を1890-1910と巾をもってとらえてみます。
クリムトはこの時期の人ですし
シンボリスムが最盛期でした。
日本では明治ロマン派の藤島武二などが当たります。

今回来ているムンクの《叫び》(1910)はまさにその時代の作品。

【4つの《叫び》】

《叫び》の有名な作品は何点かありますが
あまりにも有名なのでそのうちのどれなのかはどうでもいようにも思われます。
例えば岸田劉生の《麗子》、どの麗子かなんて意識せずに一貫したイメージで話ができる。
それと同じような感じです。

実際に《叫び》には
・ムンク美術館のクレヨン作品(1893)
・オスロ国立美術館のクレヨン作品(1893)
・パステルてメリハリのはっきりしているもの(1895)・今回来日しているテンペラ(1910)
などがあります。
制作もこの流れで行われたと思われます。

フォト


一覧有名なのがこの右。
でもだからといって今回の作品が「ニセモノ」だとか「レプリカ」だという訳ではありません。

さらに《叫び》にはもとになった《絶望》(1892)という油彩作品がティールギャラリーにあります。今回来ていませんが。
奥まで斜めに橋が続いていて背景も同じですね。

このように《叫び》はイメージが1つの作品に収斂しているのでなく渦巻いている感じです。
ムンクという人は常にアイデアにアクセスしてその時に合うイメージを引き出せる人であったということです。
他の作品でも同じテーマを様々に描いているでしょう?

【版画の《叫び》】

《叫び》には今回出ていない重要な作品もあります。
モノクロの版画作品です。
ご覧になっている方も多いでしょう。
色があるとオーケストラのようで一つ一つの音が分かりにくいところ、
白黒だとストレートに伝わりますね。

だいたいムンクは版画でも、刷りが違うとかいう問題でなく1回毎に工夫してしまってバリエーションが無限にあります。
版画でも原イメージの渦から引き出す仕組みが常にある画家なんです。

今回出ているものに石版両面の作品がありますね。
この時期の石版の存在感がよくわかるでしょう。
単にドローイングを写したものではない。

さて、さきの白黒版画の《叫び》はベルリンに移って3年目、『パン』という雑誌に掲載されました。

当時のベルリンは華やかな世紀末都市の1つで
出版も盛んだった、それで多くの人がこの作品を
見ることになりました。

よく見ると版画の下に文字がある。
題名と、
「私は大きな叫びを感じた
自然を満たす大きな叫びを」
とドイツ語で書いてある。
ムンクの作品は言葉と一体化しているものが多く、
絵だけでは半分しか伝わりません。
そしてこの言葉は色のついたドローイングの《叫び》の説明であるとも言える。

この説明からわかることに
「叫んでいる絵ではない」ということがあります。

中央の人物は大きな叫びを感じたから耳を覆っている。
自然を満たす叫びは人物をも満たしている。

さらにこのテキストによれば「私は」なので中心人物は自画像であること
「感じた」という過去形なので回想であることがわかります。

【自画像】

《叫び》と対になる作品が展覧会の冒頭にある《自画像》。
フォト



正面を向き、鏡を見て描かれた画を版画で反転していますから、
これは本人そのもののイメージではないかと思われます。

しかしどうでしょう。
当時のムンクは30歳でした。でもこれは50歳くらいに見えませんか?

しかも手前に左手の骨が置いてある。
まるで自分の体の一部は骨になっているとでもいうような
"死すべきもの"というメッセージが伝わってきます。

前に手をおく肖像画というのは古くからあるスタイルです。
例えばこれ、メトロポリタン美術館にあるレンブラントの《石の壁にもたれる自画像》(1639)。
33歳で成功者として自信溢れる自画像です。

それに対して若いムンクは死を予感するような自画像。
肖像画のきまりのひねりを加えている。

これと同時期に前例のない《叫び》が描かれている…
ムンクは2つの顔を持つ神さま、ヤヌスなのです。

2つの作品を繋ぐ言葉は「自画像」。

今回ポートレート写真も6つ出ていますね。
ムンクと写真についての本も2つ出ています。
ムンクには、岡本太郎ほどではありませんが過剰な自意識が在りました。

アクセリ・ガッレン=カッレラによる《エドゥアルド・ムンクの肖像》(1895)
という作品があります。

(ここで当然スクリーンにその作品画像が紹介されたのですが、描かれた人物の素敵だったこと!)

ガッレン=カッレラをご存じないでしょうか?
「北斎とジャポニズム展」の時に2点出ていましたね。
(その2作品の展示されていた場所まで詳しくおっしゃいました。さすがですねえ)

フィンランドのクリムトのような人です。
ものすごく絵がうまくて、美術学校でも教授より上手い。ムンクはちょっと下手なところもありますが。
ムンクがモデルをやるとは思えませんからこの絵も
黒豚亭辺りでぱっとみてスケッチして
さっと描いたと思われます。
これを見るとムンクがとんでもないハンサムだった
と言われるのがよくわかりますね。

ガッレン=カッレラとムンク、二人展の展覧会のポスターが残っています。

このエンブレムのようなマークはカッレラ作でしょうね。
たなびく雲に指輪をはめた手、2つの星は二人の画家を表すものでしょう。

この時ムンクは生命のフリーズを並べました。
連作で見てほしいという自覚がはっきりしたのです。
連作であるためさらに同じ作品を繰り返し描くことになりました。
1つ売れてしまうとシリーズに穴が開きますからね。
彼は、優れた歌手がいつでも歌えるように
いつでも同じものを描くことができました。
ただし機械ではありませんから少しずつ違っている。それが面白さになっています。


二人展は、同時か連続かわからないし会期が書いてないんですがバレッチオというギャラリーで
10時から19時、日曜日は10時から16時。
入場料は1マルク。高くないですか?

ムンクは当時「ヤバいもの」でした。
だから皆がお金を払っても見たいんです。
売らずに見せてお金をとる、クールベがはじめたシステムですね。


【カッレラ】

ついでにアクセリ・ガッレン=カッレラ(1865-1931)について紹介しておきましょう。

彼も世紀をまたぐヤヌス的な画家です。
カッレラ以前/以後に意味を持つフィンランドの国民的画家。

◆マドンナ(1891)
ガッレン=カッレラ美術館の至宝です。
この美術館は建物や椅子・ステンドグラスや床のタイルまでカッレラの作品です。
そしてこの絵は子供を抱く幸せそうな夫人を描いたもの。

ところが彼はその後全く違う絵を描くようになります。
◆キクユの男(1909)

世紀が変わると作風ががらりと変わる。
ヨーロッパを捨ててアフリカに渡ったのです。
表現主義の強い作品といって差し支えない。
現代文明が失ったものという感じですね。
《キクユの男》と同時期にムンクは《叫び》を描いている。

ちなみにロンドンのナショナルギャラリーで昨年一番売れた絵はがきはカッレラのものです。


【《幻影》(1892)】

もうひとつムンクの重要な作品について述べておきましょう。

《絶望》とほぼ同時期に描かれたものです。

湖に浮かぶ首、背景に白鳥。
生命のフリーズには入っていませんが印象的な作品です。

これを見て私が思い出すのは
◆萬鉄五郎《雲のある自画像》(1912頃)

頭の上に滲んだような雲があって白い襟の服がピエロのよう、
ポスト印象派的な表現です。
萬はムンクを見ていたのでしょうか。
恩地孝四郎はムンクの画集を見ていたのがわかっているのですけれどもね。
萬とムンクを繋ぐヒントを私はずっと探し続けています。
両者に響き合うものを感じるのです。

ムンクは写真に夢中になったことがありました。
友人の**が心霊写真に凝っていたからです。
彼がアパートの中庭を写した写真があるのですが、
その陰に白鳥が写っているでしょう、とムンクは手紙に書いている。
水死している(!)自画像を描くとき
彼は中庭に見える白鳥を書き入れたのではないか。
ムンクは自分の中の妄想をかきたてる人だったのです。

だいたいにムンクの版画は雑というか荒いというか完成点がとらえにくい。定まらず、流動している。
油彩もそうだったのではないでしょうか。

【夏の海辺(1902-3)】

最後にわたしの思い入れのある作品を紹介します。

ウィーン新派展?に出品された、ものすごくきれいな風景画です。
103×120と小さく、人物は一人も描かれていません。

私は乗馬学校横のモデルネ・ガレリで見たのですが
もうウィーンでは見られなくなりました。

もとグスタフ・マーラーの妻アルマ・マーラーのものだったのを
義理の父親がナチ政権に売ってしまったのですが
不法にコレクトされたものは元の持ち主に返そう
という2000年前後に起こった動きで、アルマの遺族に返されました。
今は個人のものです。
どこかに寄託されればいのですが…
個人的なことで失礼しました。

【質疑応答】

問。
ムンクの影響について分かりやすい事例は。
答。
ムンクは次世代のヒーローでした。
同世代のエミール・ノルデや、
キルヒナー、コルディッツなどドイツの多くの画家はムンクに共感していました。
ひいてはココシュカやエゴン・シーレにも繋がっていきます。

問。
NHK日曜美術館で出演者が《叫び》の「自然の叫び」は伐採される樹の叫びではとおっしゃっていましたが?
答。
その方の個人的な見解でしょうね。
「自分の中を貫いて満たしている」なのでなにもヒントはありません。

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お話を聴いて改めて展示を見ると
本当に自画像が多い。。。


1月20日まで。
https://munch2018.jp/
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