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2018年11月23日20:49

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「短歌人」の誌面より(126)

2018年11月号より。

聖書読まぬカトリックはも口尖らせいとも暢気に人を罵る   宮田長洋

…一読苦笑してしまった。宮田さんの「火のごとく」7首の1首目。一連の他の歌から了解されるように、宮田さんはプロテスタント系のキリスト教に信を置かれている。一連4首目の《尖塔を天へと聳えさせながら私腹肥やせるカトリックありき》には宗教改革の原点に通じるような思いが込められていてよくわかるのだが、この1首目はいささかやつあたり気味のような感がある。あのような者は許せない、それもこれもかの者がカトリックだからだ、というように問題はひとえにカトリック信徒という相手の属性に帰せられている。やつあたりのへらず口の分には人畜無害だが、この発想のベクトルを突きつめてゆくと宗教対立や宗教戦争という方位へ行くだろう。ということに宮田さんは気づいているだろうか。

落としても割れないガラスの哀しみがわたしはわかる壊れたいから   高田 薫

…かつて僕の祖母は「生あるものは死するもの、かたちあるものは壊れるもの」とよく言っていた、などということを思い出した。「落としても割れないガラス」は、かたちありて壊れぬもの、すなわち永遠に存在し続けるものなのだろう。わたしは永遠を欲しない。わたしは壊れたい。永遠に存在し続けるなんて、おぞましいことだ。と思えば、そのガラスの哀しみがわかる、と高田さんは詠う。無常をいとおしみつつ肯定する思いが、一片のかなしみを伴って伝わってくる一首だ。

数珠玉に釘もて穴をあけし日はことばがうまく繫がつてゐた   藤島朋代

…若かりし頃を思いつつ、こんなにも齢を重ねてしまったという嘆きの歌はあまた存在するが、この一首はその範疇に属するとはいえ、ユニークな切り口を提示している。かつてわれは数珠玉に釘で穴をあけて糸を通して繫いでいたものだ。という回想が誰もが経験するようなことではなく、ほぉ、と思わされる。そして、その頃は数珠玉がうまく繫がっていったように、われの発語する言葉もまた明瞭な意味を帯びて繫がっていた。しかるに今、数珠玉も、そしてわれの言葉も…、という二重の消息が適切な省略のもとにうまく一首におさめられている。

ひとつづつ記憶を保管するために夏の奥処に百の抽斗   冨樫由美子

…ひらたく言ってしまえば、夏の思い出は多々あって、それを保管するあまたの抽斗がある、という歌なのだが、それを詩化するフレーズが配されて印象深い一首だ。たしかに、春の思い出、夏の思い出、秋の思い出、冬の思い出というように四季の思い出を並べてみれば、断然夏の思い出だろう。というところに夏という季節への共通感覚のようなものが立ち上がる。それをひとつつづ抽斗に入れれば百の、すなわちあまたの抽斗となるのだ。それぞれの年の夏は往ってしまうが、夏という季節の奥処にその抽斗は存在し続ける。奥処という語がこの歌のチャームポイントだろう。

二十三時肺を目一杯ふくらますひとつの星のひとつの生きもの   永岡ひより

…この歌もまた、ありていに言えば二十三時に私は深呼吸しましたという歌なのだが、そのわれの存在を宇宙的な視野で見ているところに惹かれた。自らの存在をこのように観ずることは大切なことなのではないかと思う。僕も、三千世界に幸あらなと念ずる時には地球や宇宙のスケールへ思いを及ぼしている。

母を恋ふきみは善き母のみを恋ひくらくくだりてゆくひとつみち   柏木みどり

…母恋いへの批評の歌、と読んだ。とすれば「きみ」はおそらく男性だろう。4句〜結句は、その道はうるわしき母恋いの情感によって飾られているが、奈落へ至る一本道なのだ、ああ、堕ちて行ってしまった者よ、という謂だろう。「善き母のみ」とは息子が母に抱く幻像である。と書いてきて、「短歌人」10月号の拙詠「息」に対する批評の歌のようにも思えてきた。あの一連には少しばかりそうした傾きがあったように思ったりしていたからである。ただし、かつての母のまま、すなわちさまざまな恨みつらみを抱えたままの母であったら、それを批判する歌以外は僕は詠まなかっただろう。惚けるというのはとても良いこと、ということをも僕は母から学んだような気がする。

回覧板とどけに行けば三人でせっせと注射器つくりていたる   鑓水青子

…題材のユニークさに惹かれた歌。回覧板を届けるというのだから、お隣りないしご近所のお宅。そのお宅はささやかな工場を営んでいて注射器を作っている、というのである。そうか、そのようなお宅もあるのか。「三人」はおそらく老夫婦と息子ないし娘、あるいは使用人か。高度な医療機器ではなく昔ながらのおなじみの注射器が、何処でどのように作られているかなどということは考えたことがなかった、と思う。鑓水さんの掲載5首の1首目。次の2首目は《規律よくはたらく注射器工場に機械のたかき音ひびきおり》。あるいは現在形で詠まれた回想の歌かも知れないが、いずれにせよ、何がなし懐かしさを感じる題材だ。

一瞬間ひかりが宿り目線合う 私とのさいごと自然とわかる   空山徹平

…卓上噴水欄、「ただ、そこに。」20首の16首目。印象深い一連だった。ターミナルケアの場の緩和ケアを担当して働く作者が、ある方(普通は「クライアント」などと言うが「方」としておきたい)の最後の時間に触れて詠まれた一連だ。20首の2首目は《丁寧に名前を伝える 人生の終わりの登場人物として》。この16首目の二つ前の歌は《目を開けず答えるうちに初めての流涙 亡くなる数日前に》。一つ前の歌は《眼球が漂う様に空(くう)を追う 明日の話を私から振る》。次の17首目は《週明けの申し送りで師長から告げられていく幾つかの旅立ち》。ああ、あれが最後だった…とわかることがある。母の時も含めてそのような体験を僕もしたことがあった。「一瞬間ひかりが宿り」という描写が臨場感を伝えている。

晩夏なり吹く風すずしすずしけれこの世の蟬のすでになつかし   田上起一郎

…「すずし」で言いおおせて良さそうなところ、たたみかけて「すずしけれ」と詠嘆の已然形を置いて、初句で切れ、2句で切れ、3句でまた切れながら、初句〜3句までをひと続きのフレーズのように読ませてしまうのが田上節である。晩夏ともなればこの世の限られた生の日々を生きる蟬もなつかしがっているだろう。われの生においてもそうした思いは深く、晩夏の蟬をなつかしく聞いている。いや、今聞いている蟬は、あの世からこの世に鳴く蟬をなつかしく思ってのことなのではないか。「すでに」という語からそうした重層性が伝わる。齢を重ねてこそ詠めるような、コクのある一首である。


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