初期の「画家」時代の作品群が興味深かった。
〜東博・フィラデルフィア美術館交流企画特別展〜
マルセルデュシャンと日本美術
@東京国立博物館
今回の私的メインイベント。
時系列にしたがって20世紀最も影響力のあったアーティストの1人、デュシャンのアートをたどるものです。
最後にはテーマが共通する日本美術もちらり。
会場は一部を除き写真撮影OKです。
愉快だったのはアプリで聴くガイド『デュシャン大喜利』。
麒麟の川島明が作品解説をしながら、3人の芸人さんを仕切る文字通りの「大喜利」。
お題はたとえば
・それ必要か?《自転車の車輪》に隠されたどうでもいい機能とは
・《デュムシェル博士の肖像》について、彼の左手はある奇跡をおこした。その奇跡とは?
・《階段を下りる裸体》どこへ向かっている?
・《チョコレート磨削機》10年回り続けたらどうなる?
という具合。
スマホで聴きながら迷回答に笑いそうになりました。
さて展示構成と主な作品は
◆第1章 画家としてのデュシャン
15歳の初作品《ブランヴィルの教会》(まるでクロード・モネ)から
20歳のロートレックばりの《兎(待ちぼうけ)》
25歳のキュビズム作品《階段を降りる裸体No.2》。
◆第2章 「芸術でないような作品をつくることができようか」
《チョコレート粉砕機》
《大ガラス》(駒場博物館のレプリカ)
《泉》
◆第3章 ローズ・セラヴィ
女装して別人格になったり、
アートからチェスに乗り換えたり。
円盤を回す作品 「箱」や「トランク」で過去の作品をまとめたり
◆第4章 《遺作》欲望の女
ここでは作品と一緒の晩年の近影がたくさん。
しかし制作中の写真、はありません。あくまでも完成したものだけ。
特に「遺作」は一部となったスペインの古い扉の写真くらい。 謎めいています。
そのほか第2部としてキーワードに沿う日本のお宝展示
◆「レディメイド」→利休《竹一重切花入》
◆「リアリズム」→浮世絵
◆「時間表現」→《平治物語絵巻》
◆「オリジナルとコピー」→伝雪舟《梅下寿老図》
◆「書という芸術」(ことばあそび)→光悦《舟橋蒔絵硯箱》 etc.
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展覧会鑑賞後には講演会をききました。
『デュシャンの本質』
マシュー・アフロン(フィラデルフィア美術館近代美術部門キュレーター)
内容は展示と彼の人生のより詳しい説明。
デュシャンがなぜ絵画をやめたのか。
どうしてミュンヘンを経てニューヨークへわたったのか。
引退した大物と思われていた晩年にしていたこと。
彼の考えかたを物語る言葉いろいろ。
「大切なのはそこから生まれる思考である」
「本来の環境と別な所におくと別の考えが出てくる」
「アートにおいては目でみたものでなく頭の中の動きが大切」
「理想の観客は未来の観客だ」等々。
講演のあとには質疑応答がありました。
問。
デュシャンの作品制作へのモチベーションは何だったのでしょうか。
答え。
彼はモチーフを回転させる作品を作りました。《チョコレート磨砕機》も回転という面は共通です。
こうした特定のイメージは瞑想するきっかけになります。
また世代的にはキュビスム/ダダイズム/シュルレアリスムなど様々な動きがありました。
自分達の使命は今までの常識を覆すこと、
見るものにショックを与え新しい考え方をもたせることと考えていた。
ですから彼は常に変化するという原則を生涯にわたって守ったのです。
今回の展覧会でも章毎に全く違うアーティストのようでしょう?
反復したらそれは自分が死ぬことだとまで言っています。
問。
髭のモナリザのタイトルにみられるような「ことばあそび」は彼独自のものでしょうか。
答え。
「ことばあそび」そのものは彼だけのものではありませんがユニークな形で言葉を使ったことは確かです。
他には19世紀の象徴主義の影響で神秘的な視点を高めているともいえますし、
諷刺マンガをルーツとする公衆的・野蛮なものもあります。
問。
《遺作》について。制作していたアトリエはフィラデルフィア美術館が保有しているのですか。
答え。
残念ながら違います。アトリエはありませんが《遺作》の展示にはご遺族が立ち会いました。
制作はひっそりと行われ、生前に美術館との密かな交渉が始まり、
《大ガラス》の隣の部屋に置くことも決まっていました。
作品がエロティックなものであったためセンセーショナルな取り扱いをされることを恐れて、公式な発表もしませんでした。
それでも作品を見た人たちから情報は広がり、大きな反響をよびました。
あの穴のあいたスペイン扉は観客をのぞき魔に変えてしまうのですからね。
問。
彼の人となりはどうだったのでしょう。
周囲の人々とのエピソード等ありますか。
答え。
デュシャンは友人からみてもつかみにくい神秘性があったようです。
ポーカーフェイス で、作品には常に驚かされていた。
一方ひかえめでもあり、生活はシンプルで公の場にあまり出たがらなかった。
1915年頃のまだ小規模だったアバンガードでの交流では人気があったようです。ハンサムでしたしね。
考え方も賢かったといいます。
一方《大ガラス》に8年を費やすなど、常に多作であろうとはしていませんでした。
自分の最大の作品はルーティンそのものだと言っています。
問。
大学で美術を学んでいます。デュシャンは難しいと思いますが何かアドバイスは。
答え。
それは素晴らしい! 私も大学の教師でした。
他にも難解なアーティストは多いです。
まずシンプルなアプローチがいいでしょう。
直接作品を見て ストーリーを理解する。色々な所を繋げてみる。
アーティストが自ら書いた文章を読む。大枠を理解し、作品がどの部分を占めているか、なぜこのような展示になっているのか、
どんなストーリーが語られているかを探ることですね。
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完成させるのは観客。
50年後100年後の観客が作品をアートにする。
さて私はよい観客でしょうか。
12月9日まで。
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