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2018年09月15日20:27

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愛知県一宮市馬見塚遺跡11 神宮司社と海人族の社

阿豆良神社(あずらじんじゃ)祭文殿〜拝殿の西側の社地の端には

フォト

社殿と平行に10mあまりの長さの高さ50cmほどに玉石を組んだ
石垣の基壇が設けられ、
その上に社殿の方を向いた7棟の銅板葺素木造の境内社が祀られていた。
(写真左)
基壇の裏面には生け垣が設けられ、
基壇の前には広い敷石が並べられている。
すべての社が2社の合祀社で、社号札が付けられていた。
境内の本殿側(写真左の手前)から

・天照皇太神宮/熱田皇太神宮
・八幡社/稲荷社
・熊野社/金刀比羅社
・天神社/白山社
・秋葉社/一宮社
・二宮社/津島社
・国府宮社/神宮司社

「一宮社」とは
尾張一ノ宮社「真清田神社(ますみだじんじゃ)」のことで、
主祭神は天火明命。
「二宮社」とは
尾張二ノ宮社「大縣神社(おおあがたじんじゃ)」のことで、
主祭神は大縣大神。
ついでだが、尾張三ノ宮が「熱田神宮」で神体が草薙神剣となっている。
「国府宮社」とは
「尾張大国霊神社(おわりおおくにたまじんじゃ)」のこと。
神宮司社(写真中)の祭神に関しては『阿豆良神社の由来』に
阿麻彌加都比女(アマノミカツヒメ)が祀られる場所(阿豆良神社旧地)を
決めた建岡君(タテヲカノキミ)のことという説明があった。
建岡君とは鴨氏と類縁の関係にあったと考えられている
日置部(ひおきべ:大和国葛上郡日置郷を本拠とする一族)らの祖とされる
人物だ。
神宮司社は鴨氏と関係のある神社だったのか。

阿豆良神社から南々東420mあまりに位置する
丹陽町(たんようちょう)の八幡神社に向かった。
北側から社地に接近したので杜の東側に愛車を停めたのだが,
社頭はそこから80m近く南西に位置していた(写真右)。
社叢の繁った場所からアスファルト舗装された参道を社頭に向かうと,
参道に沿って一般道があり、両道の両側には畑や民家があり、
野良仕事をしている人がいた。
社頭を横切っている表道路に面して
「八幡神社」と刻まれた社号標があった。
社頭は南西を向いている。
社頭から数メートル奥に神門、
さらに神門の数メートル奥に石造の八幡鳥居。
鳥居から50mほど奥に森が立ち上がり、
その森の中に朱の社殿が覗いている。
鳥居をくぐって、参道を進むと、森の入口に楠の巨木が枝葉を広げていた。

フォト

参道の正面に藩塀と朱塗りの拝殿らしき社殿が見える。
それにしても、自然の中で朱色のパワーたるや特別なものがある。
宇佐神宮を総本社とする八幡神社は、宇佐神宮に順じて
基本的に応神天皇・宗像三女神・神功皇后を祀っている。
藤原不比等が政の表舞台に立って以降、八幡神社は激増し、
境内社などの小社の多い稲荷社を別にすれば、
全国約4万4千社とされる八幡神社は
それ以外の神社の総計より多いと言われる。
宇佐神宮の主祭神の中で淡海公という海人族の諡号を持つ
藤原不比等と関係がある祭神は宗像三女神であり、
淡海氏と宗像氏はともに神功皇后をサポートした
海人族安曇氏(あづみし)の後裔だとみられる。
安曇氏は祖神綿津見神を祀る一族だが、綿津見神はイザナギの御子であり、
イサナキは『ホツマツタヱ』では古代天皇クニトコタチを祖としている。
記紀に登場しない八幡神社が稲荷社を除けば、現在最多の神社であるのは
現在日本最多人口の一族が藤原氏(佐藤・鈴木・高橋)であることと
無関係とは思えない。
それだけに総本社は別にして、分社である八幡神社とは
見聞しても何の謎もない退屈な神社なので、一時はスルーしていたのだが、
八幡神社は藤原氏以前の重要な神社を淘汰している神社でもあり、
その淘汰された八幡神社周辺の神社の
痕跡が持ち込まれている場合があるので、
時間がある場合は参拝するようにしているのだ。
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