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2018年09月16日23:29

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愛知県一宮市馬見塚遺跡12 丹と赤丸神事

丹陽町(たんようちょう) 八幡神社の
表参道の途中に枝葉を広げている大楠は近づいてみると、

フォト

枝の張り方から想像していたより、幹は太くなかった。

フォト

社頭から続いていたアスファルト舗装の参道は
参道の左右から根を張っている楠のせいで、途切れ、
盛り上がっており、
参道の右手に平行して延びてきていた一般道は
右側の楠のせいで表参道から別れ、右折して社地を迂回している。
左右の楠によって出来ている四角い画面の中には
鮮やかな朱塗りの棟入の拝殿と、それを遮るように
石造で3間巾の藩塀が設置され、楠のすぐ先から石畳に変わった参道は
10m近く奥にある藩塀に向かって一直線に延びている。
楠の間を抜けて、参道を進むと藩塀に妙な所があることに気付いた。
(写真左)
どうも、欄間の様子が変なのだ。
ちなみに、羽目板に装飾は入っていない。
拝殿前に至ると、欄間の中央には
「八幡神社」と浮き彫りされた社号額がはめ込まれていたのだが、
ほかの部分は素通しになっていた(写真中)。
どうも、欄間にはめ込まれた板が割れ落ちているようだ。
藩塀を左右に迂回している参道は藩塀の向こう側で中央に戻ることなく、
そのまま平行に10m近く延びてから、双方から中央に戻り、
1本に戻っていた。
藩塀の20m近く奥に朱塗りの拝殿があるのだが、中央に戻った表参道は
数メートル奥でふたたび左右に別れ、拝殿の正面には向かっていなかった。
(写真右)
拝殿の正面手前には参道ではなく、
献灯台と鉄の篝火用篭が設置されている。
その手前、参道が左右に別れる直前の参道の両脇には
1対の狛犬が設置され、左側の狛犬に沿って、
自然に伸びたと思われる樹木が葉を繁らせていた。

ところで、この朱塗りの拝殿は八幡三神の中では
海人族である宗像三女神を暗示している。
そして、そのことがここの町名「丹陽町」に反映されている。
丹陽町の前身である丹陽村は丹羽郡に存在していたが、
丹羽郡にはほかに「大赤見」、「赤見」と地名が残っているが、
かつては「赤童子村」、「小赤見村」、「赤羽村」という
村名も存在していたという。
御器所八幡宮(名古屋市)では、ヒンドゥーのビンディのように
童の額に赤いマーキングをする赤丸神事が存在するが、
その神事に関する記述が
『ホツマツタヱ』(地の巻18 オノコロトマシナフノアヤ)にある。

「         トトムル ※トトムル=留むる
 ヲノコリト ワラヘノヒタヒ ※ヲノコリ=地 ワラヘ=童 ヒタヒ=額
 カニオセハ オソワレヌノリ ※カ=丹色 オセハ=押せば 
                オソワレヌ=魘われぬ ノリ=法
 オノコロアヤソ      」※オノコロ=地 アヤソ=綾ぞ

まさに「赤童子」であり、
八幡信仰と丹とは関係があるようだ。
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