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2018年07月21日11:51

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絵画と写真 アングルの罪

絵画と写真 アングルの罪
 絵画に限らず漫画やアニメ、イラストの制作に写真は欠かせなくなっている。元々、初期のカメラの開発に画家が協力していた歴史もあって、写真は絵画に影響を与え、写真も絵画から影響を受けていた。都市伝説のように言われる絵画と写真との対立は、思われているようなものではない。19世紀になって写真が普及し始めると、画家は、写真を利用して絵画を製作するようになる。特に商業的なイラストや、ポスター 挿絵など、エンターティンメント系の絵画では、写真の利用を否定する考え方は元から無く、写真を参考にしてポスターやイラストを描くことが普通だった。商業ポスターを描いていた、ミュシャやロートレックは、写真を利用してポスターを描いていることを公表している。もちろん、写真をそのまま描くようなフォトリアリズムが登場するのは、現代アートの誕生以降になるが、フォトリアリズムに似た描写をしていたのが、アカデミック系の絵画だった。現代でも、画家が写真を利用して絵画を製作しているのは事実で、それを隠している画家もいるが、今や絵画製作と写真とは切っても切れない関係となっている。画家が、写真を利用して絵画を製作することに、何かしらの後ろめたさを感じる感覚は、アングルの呪縛ではないか、と考えている。アングルは、18世紀の後半から、19世紀前半にかけて、フランスのアカデミック系絵画界を支配した権力者だった。写真を公に批判し、弾圧しようとしたのもアングルだ。このことがあまり知られていないのは、写真弾圧は、結局失敗するからだ。アングルは、アカデミック系、新古典派の巨匠で、同じくアカデミック系のロマン派の絵画すら敵視するような狭小な思想の持ち主だった。自分が好む絵画スタイル以外を認めようとはせず、多くの対立や軋轢を生み、国を巻き込んで大騒動を巻き起こすことになる。だが、運も持っていて、自分の失脚に繋がるような大事にはなっていない。革命による王族派の排斥に巻き込まれ、失脚する新古典派の重鎮もいたが、若手だったアングルは、当時ローマで絵画修行を行っており、フランス革命での難を逃れている。フランス革命が収まるまでローマで過ごし、後に、フランスに帰ってきたアングルは、フランスの新古典派の巨匠として活躍し始める。印象派のような新しい絵画運動が巻き起こる時代には、すでに他界しており、時代を上手く生き抜いた巨匠とも言えるだろう。印象派が誕生する時代にアングルが生きていれば、徹底的に印象派を排斥していただろうと思われ、歴史的な悪役として名を馳せることになったのではないだろうか。しかし、アカデミック系の巨匠であったアングルが持っていた他の絵画ジャンルを認めようとしない偏狭な考え方が、西洋絵画に強い負の影響を与えてしまったであろうことが、後々判明する。西洋絵画の歴史を紐解いてみると、古典絵画の時代、画家の考え方は、おしなべて寛容で、他のジャンルの絵画と協力的な関係を築いていた。ルーベンスなどがその典型で、画家同士で協力して大作を完成させている。ルーベンスは、人物が得意だったので、花の絵が得意な画家、動物を描くのが得意な画家、風景が得意な画家と組んで、スケールの大きな絵画を製作していた。ルーベンス自身は、風景画家を目指して画家となったため、元から風景画が好きで、晩年は、風景画を多く製作している。ところが、フランスのアカデミック絵画界では、風景画は、人物画に劣るジャンルだとする考えがあり、絵画のジャンルによる格付けを行っていた。しかし、それまでの古典絵画の世界では、風景画が劣るジャンル、という価値観はなく、画家は、いろんなジャンルの絵画を描いており、そこに、優劣をつける考え方そのものがなかった。18世紀から、19世紀にかけて、つまり、アングルが権力を握っていた時代、フランスのアカデミック界では、人物画が格上の絵画で、風景画や静物画は、格下というような偏見に満ちた価値観が存在した。乱暴な言い方をすると、フランスのアカデミック絵画には、偏見に満ちたアングルの考え方が染み込んでいたのだ。アングルは、人物画が最上位に位置する絵画だと信じていた。人物画の中でも、ルネッサンス期のラファエロの人物画が、最上の絵画だった。アングルにとって、ルネッサンス期の画家は、ダヴィンチでもなければミケランジェロでもない、ラファエロなのだ。理由は、綺麗な女性を描いている、というものだった。ちょっと恥ずかしくなるような理由だが、アングルの価値観には、絵画は綺麗なもの、という思い込みがあり、それ以外の価値観は理解できなかったのだ。アングルの好みは、女性が、理想的なバランスで、綺麗に描かれている絵画に集中する。あっぱれな偏見、と言えそうだ。ここまで単純明解なら、逆にわかりやすいかもしれない。幼稚な考え方だが、それが権力者の主張なので、大きな影響力を持ってしまったのだ。フランスのアカデミック絵画教育は、偏狭的に人物画に集中する。そして、そのお手本となるのが、ギリシャローマ時代の理想化された彫刻だ。ギリシャローマ時代の彫刻は、神の姿なので、人間的というよりは、美化された姿が求められた。アングルは、奴隷を彫像にしたミケランジェロや、神ではなく、人間を描こうとしたダビンチは、理解できなかっただろうと推察できる。アングルは、人物を生身の人間としては捉えておらず、まるで、人形のように、彫像のように描いている。この人間を人間としてではなく、絵画造形を構成するモノ、として扱う考え方も、後の西洋絵画のキュービズムと共通の概念となる。人を人のように描かない絵画思想が、近代西洋絵画の核となって発展することになる。ここで、人を人として描こうとする具象絵画は、西洋絵画の主流から追いやられることになってしまう。これも、アングルの世界観が、西洋絵画を支配していった、と言えなくもない。ピカソが、新古典派の絵画に強い影響を受けていたことは、非常に重要だ。この流れを、しっかりと分析できないと、その後の現代アートの登場の意味が理解しづらくなる。もちろん、アングルの偏狭な価値観や考え方に対して異議を唱える画家も多かった。アングルは、それら、自分の考え方に批判的な画家達を、弾圧しようとする。そのために大騒動になってしまったのだ。思考も単純なら行動も単純、自分の欲望に対して非常に忠実な言動を行うアングルは、一種のサイコパスだったのではないか、とも思われる。自分が良いと思う以外の価値観を決して認めようとしない。自分が価値を決める、という傲慢さがアングルにはあった。アカデミック系の絵画が持つこのような他のジャンルの絵画を認めようとしない偏狭さは、この18世紀から、19世紀にかけてフランスのアカデミック絵画界で作られた考え方、つまり、アングルの偏狭で差別的な価値観をベースにした考え方と共通するのだ。アングルは、写真が嫌いだったので、写真を否定していた。画家は、写真を利用して絵を描くべきではないと主張していた。それがアングルの考え方だ。この考え方に影響を受けている現代人も多いだろう。絵画は、写真を利用すべきではない、という考え方のルーツがアングルにあった。アングルの呪縛に囚われている人は、今ですら多くいるわけだ。印象派の絵画が、初期の段階で低く見られたのは、風景画だったからだ。当時のアカデミック系の価値観では、風景画は、人物画より劣る絵画とされていた。これもアングルの考え方と同じだ。モネが風景画にこだわり続けたのも、風景画の復権を生涯のテーマとして貫いていたためだ。当時のフランスのアカデミック絵画界では、風景画が高く評価されることはなかったのだ。このような偏狭な価値観そのものが批判されるようになる。アカデミック絵画への批判の根幹を為すのは、偏狭な価値観への批判だ。写真がどうのこうのという話しではない。印象派の絵画は、風景画の革命であった。風景画の復権だったのだ。他の国、ルーベンスの生きたネーデルラントでは、風景画が人気で、高く評価されており、ルーベンス自身も風景画を多く描いている。そのような大らかなヨーロッパの古典絵画の歴史的流れを、18世紀から19世紀にかけてのフランスアカデミック絵画は、失ってしまっていたのだ。そのような偏狭な価値観を持ったフランスアカデミック絵画が批判の的となるのは当然だろう。この偏狭な価値観を作りあげるのに心血を注いだのがアングルだったのだ。それが、現代でもアングルの呪縛として続いている。フランスが、ヨーロッパの絵画の中心地のように思っている人も多いかと思うが、19世紀までのフランスは、絵画では後進国だった。ヨーロッパの憧れは、ローマであり、ローマこそがヨーロッパの絵画文化の源泉である、というのがヨーロッパの共通認識だった。フランスのアカデミック系の絵画では、ローマ賞があり、優秀な若手画家は、ローマに留学することができた。若き日のルーベンスもデューラーもローマで絵画を学んでいる。ヨーロッパの画家にとってローマで絵を学ぶことが夢でありステータスだった。フランスは、19世紀以前のヨーロッパの画家にとって憧れの国ではなかったのだ。フランスが、世界的に注目されるようになるのは、やはり、印象派以降の、新しい絵画スタイルが次々と生まれた時代以降になる。














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